ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第387話 1993年広島:ボロ電激変そして再会!!(その7)

1993年当時の広電は宮島線がLRT化されて大激変してしまいましたが、それでも市内線にはかつてのボロ電時代の車両が活躍しており、懐かしさも相まって写真を撮りまくってしまいました。

 

1.652 (十日市~本川町:1993年7月)

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 広電を語る上で大変重要な、原爆の生き証人的存在の652がやって来ました。

この被爆車両である650形は奇跡的に4両が現存していました。この車両は歴史的に見ても後世に残さなければならない車両です。そのことは当事者である広電関係者が一番精力的に対応されており、650形は徹底的な改修と冷房化も図られてイベントではなく、毎日普段の運用に入っていました。

 

2.553 (江波:1993年7月)

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570形を追い掛けて行った江波車庫に、553がいました。

550形は広電初の高性能車になり損ねた車両ですが、宮島線直通車にもなり損ねた残念な車両でした。トップナンバーの551は間接制御の試作車として1955年に登場しましたが、時期尚早でご多聞に漏れず制御系の故障が多く、直接制御の吊掛車に戻されてしまいました。よって、全車5両が直接制御の吊掛車で増備となり、先に導入された500形とほとんど変わらない車両になってしまいました。

登場時はそろそろ宮島線直通運転の計画が具体化したころで、この550形を使用して臨時の直通運転が行われ、晴れて初代直通車になろうかという時期に間接非自動制御の850形(後350形)が登場したため、その座を降ろされてしまいました。非常にあわれな車両ですが、1993年当時は、焼失した552を除く4両が健在で、宮島線直通車としての認可も継続されていました。ちなみにパンタグラフを搭載していますが、これが宮島線直通車の名残です。

 

3.352 (本川町:1993年7月)

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 352がやって来ました。この車両は市内線電車に成りきっていましたが、実は元宮島線直通車で、先輩の550形を差し置いて、初代直通車として一時は2000形と同じクリームとピンクの直通車色に塗られた時期もあったそうです。よって、パンタグラフを搭載し、間接非自動制御の車両ですが、2500形の増備でそのまま市内線に転じました。元は850形と称していましたが、1971年に改番されて350形となりました。たった3両の小世帯ですが、3両共健在でした。この車両も宮島線直通車としての認可が継続されており、パンタグラフ搭載車です。

 

4.601 (猿猴橋:1993年7月)

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 600形は西鉄北九州市内線から来た13m級の大型車です。当初は3両在籍しましたが、当初の601は事故廃車となり、2両が健在でした。ところで、この車両の塗装色ですが、腰回りはもっと焦げ茶っぽい色だったように思いましたが、この色は?

 

5.601 (猿猴橋~広島駅前:1993年7月)

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 600形は元西鉄北九州市内線500形でした。戦後の運輸省規格型路面電車で、大阪市電だった750形とも似た形態です。オリジナルは3扉でしたが、西鉄時代に前後2扉化され、広電入線時に前中2扉に変更されました。古い車両ですが、大型で輸送力があったので、冷房化もされて750形ともども頑張っていました。

 

6.601 (広島駅前:1993年7月)

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600形の前面は750形に比べて面長でした。車体幅が8㎝ほど狭かったのと、車端が絞られて前照灯がおへそだったので、750形ほどワイルド感がありません。