ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第381話 1993年広島:ボロ電激変そして再会!!

1993年は仕事で広島の案件を担当することになりました。

広島は私がかつて住んでいた所ですが、広島を離れてからすでに11年が経過しており、仕事で再び広島に関わることになるとは、奇遇なのか腐れ縁だったのか?

まあ、そんなことはどうでも良いことですが、11年ぶりの広電は激変していました。

10年ひと昔と言いますが、この10年間の変貌は " 玉手箱を開けた浦島太郎 ” 的感覚でした。なにしろ、あのボロ電にVVVFの軽快電車がウジャウジャ走っていました。これには面を食らいました。

 

1.3903編成 (紙屋町~立町:1993年7月)

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久々の広島で最初に出迎えてくれたのは、宮島線直通用の3900形でした。

3900形は当時広電の最新車両で、VVVF車としては既に2代目の軽快電車でした。広電の軽快電車と言えば、第93話で報告しましたが、あの3500形を思い出します。とんでもない厄介物で増備を見送られていたどころか、その存在も危ぶまれていたはずですが、これも時代の流れなのでしょうか。もっとも、あれから11年も経ち、技術的な進歩や車両自体の改良もあったことは確かです。

 

2.3903編成 (紙屋町~立町:1993年7月)

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当時の広電は、既に宮島線専用の高床車を排除し、全ての車両が低床化されて、いわゆるLRT化されていました。もう私が対象とするローカル線じゃありません!!

しかし、久々の広島です。今回は私が広島から離れた1982年3月以降に導入された新車も交えて、1993年当時の車両を考察したいと思います。

 

3.704 (紙屋町~立町:1993年7月)

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700形(注1)は1982年~1985年にかけて11両導入された市内線用の両運車です。

広電の700形と言えば、ボロ電時代にも京王電軌から譲受した初代700形というのがいましたが、この新車は、現役の650形に続けて空番号となっていた2代目700形を襲名しました。

前面は都電7000形更新車(現都電7700形)を太らせたようなデザインですが、メーカーは同じアルナ工機でした。1980年代になると全国の中古路面電車も枯渇してしまい、さすがの広電も老朽車対策として、新車を導入せざるを得ませんでした。市内線用の新車としては、1958年製の350形以来実に24年ぶりの新車で、初代軽快電車である3500形で試用された両手連動式ワンハンドルマスコンが正式採用となりますが、なんと残念なことに700形の1,2次車である701~707は抵抗制御の吊掛車です。

吊掛車となった真相は、在来車の主電動機を流用したことも理由に挙げられますが、700形が最初に導入された1982年時点では、まだ3500形の課題が解決していなかったのか、新性能車の導入が間に合わなかったものと思われます。そんなわけでニセ軽快電車700形の登場となりましたが、一般乗客にしてみれば3500形以来ようやく新車の導入です。吊掛だろうが関係ありません。立派な新車です。ボロ電だった広電は、この電車をきっかけにボロ電を脱しました。

 

4.714(紙屋町~立町:1993年7月)

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700形の3次車は、1,2次車の連番とはならず、710番台の711~714となりました。

導入は1985年で、この3次車は抵抗制御のカルダン車になりました。外観は、1,2次車とほぼ同じですが、走れば音の違いでわかります。

この3次車が導入された前年に、宮島線直通の3連接車にも3700形という新車が登場しましたが、その3700形が抵抗制御のカルダン車であったことから、700形3次車もカルダン車になったものと思われます。

 

5.701(十日市~本川町:1993年7月)

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(注1)2代目700形の車歴

・広電701~404(1次車):1982年アルナ工機製(吊掛車)

・広電705~407(2次車):1983年アルナ工機製(吊掛車)

・広電711~414(3次車):1985年アルナ工機製(カルダン車)

 

6.3701 (本川町~原爆ドーム前:1993年7月)

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1980年代初旬の宮島線直通車は、西鉄福岡市内線から来た2連接車を3連接化して増加する乗客を捌いていましたが、それでも間に合わない状況になって来ました。しかし、そのために試作導入された3500形軽快電車は何かと課題が多く、増備は足踏み状態が続いていましたが、もう我慢できない状況となり、広電は軽快電車モドキ3700形3連接車を1984年~1987年にかけて5編成導入しました。

3700形(注2)も700形同様に両手連動式ワンハンドルマスコンを採用しましたが、抵抗制御のカルダン車となり、一見軽快電車のようにも見えますが、「モドキ」です。まあ、当時はこれで十分だったと思います。3000形に比べても窮屈感がなく、居住性はかなり改善されており、シェブロンゴムの軸ばねを採用した台車は、線路がイマイチだった宮島線においてもまずまずの乗り心地でした。そして、なによりも抵抗制御のカルダン車は賢明な選択だったと思います。

 

7.3704編成(天満町~小網町:1993年7月)

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 (注1)3700形の車歴
・広電3701編成(A+C+B):1984アルナ工機製(1次車)

・広電3702編成(A+C+B):1985年アルナ工機製(2次車)

・広電3703編成(A+C+B):1986年アルナ工機製(3次車)

・広電3704,3705編成(A+C+B):1987年アルナ工機製(4次車)

ところで、3700形の最終増備となった4次車ですが、この車両の製造時期に並行して広電初となるVVVF車となった3800形1次車が製造されていました。竣工も1987年でいっしょです。なぜ、抵抗制御車とVVVF車が同時期に導入されたのか不可解です。

もしかして、3800形1次車はもともと3700形で計画されていたものを急遽VVVF車に変更したのかも?もちろん、新車の設計期間を考えると、前もって水面下で検討は進められていたものと思われますが、得体の知れないVVVF車を突然採用するとは、かなりの大英断だったのではないかと思います。