ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1064話 1993-94年広島:広電の2000形(その3)

広電2000形を追い掛けて宮島線に出向きまたが、気が付けばいつもの通り阿品(現在の東阿品)です。まあ他に良い撮影ポイントがないので仕方ありません。しかし、ここは結構まともな撮影ポイントです。このあたりは、午後から広島湾をバックに順光で撮影ができました。

 

1.2009+2008 (地御前~阿品:1993年12月)

地御前~阿品間は、比較的駅間が長く、列車はノビノビと走ります。吊掛車の2000形は独特のカン高い走行音で全力疾走です。

 

2.2007+2006 (地御前~阿品:1994年3月)

2000形は一見、路面電車の風貌ですが、間接自動制御で電制付きです。市内線では路面電車そのものですが宮島線に入れば水を得た魚のごとく本領発揮です。吊掛車を疑う程の走りっぷりでしたが、逆にこれだけ走れれば、カルダン車でなくても十分だったのか、結果的に広電の本格的なカルダン化は3700形までお預けです。

 

3.2007+2006 (地御前~阿品:1994年3月)

この写真は阿品駅の陸橋から撮影したものです。牡蛎養殖場をバックに風光明媚な場所ですが、現在は手前の街路樹が成長しており、恐らく同じ様な写真は撮れないと思います。

 

4.2009+2008 (地御前~阿品:1994年5月)

2000形をこの角度から見ると、屋根上機器がよくわかります。2000形は1984年までに冷房化されました。それまでは屋根上にクーラーユニットや電源装置はなくスッキリしていましたが、冷房化によってなんとも重苦しくなってしまいました。パンタグラフが車両の中央に載っていますが、これは最初からです。

 

5.2005+2004 (地御前~阿品:1994年5月)

この頃の2000形は全車健在で、まだまだ生き延びますが、世紀末のLRV導入以降はめっきり出番がなくなってしまいました。2000年以降も在籍しましたが、一番最初の廃車は2003年の2001でした。これは台車の不具合によるものでしたが、非営業車だったので貴重な2000形原形車でしたが、あっけなく解体されました。

 

6.2001 (荒手車庫:1994年4月)

その後、2009年をピークに廃車が進み、2013年までに2004+2005以外は解体されました。2004+2005は廃車後も保管が続き、現在も江波車庫に残っている様ですが、路面電車の博物館と言われる広電さんでも、今となっては中途半端な2000形を復活させることは厳しいのではないでしょうか。しかし、広島の高度経済成長期に現在のLRTの先駆けとして貢献した2000形の功績を、保存という形でたたえて欲しいものです。