ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第983話 1993-94年広島:広電の西鉄電車(その5)

この頃の広電は、すでに宮島線から高床車が消滅して完全にLRT化されていましたが、かつて宮島線沿線に住んでいた私にとっては、子供の頃から馴染みのある2000形や3000形がまだ残っていたので、宮島線で活躍するそれらの列車を見ると、生まれ故郷に帰って来たような衝動に駆られました。

 

1.3004編成 (高須~東高須:1994年3月)

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ここは、かつて私が住んでいた街です。中学生の頃、学校帰りに広電の高須駅でよく寄り道をしていました。高須駅は広電と山陽本線が併走する区間にあり、駅のベンチに腰掛けて通過する列車を見ているだけでも飽きません。あの頃の山陽本線は、まだ80系湘南電車やEF58,EF60,EF61の牽く貨物列車や荷物列車が多く見られました。広電宮島線の列車は半数くらいが高床車でしたが、あのヒロ電ボロ電時代が大変懐かしく思います。

 

2.3004編成 (荒手車庫:1994年4月)

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ここからは、1994年の荒手車庫です。夕方になると帰宅ラッシュに備えて昼寝をしていた3000形達が動き始めました。

 

3.3006編成 (荒手車庫:1994年4月)

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この頃は、3006編成が車体広告なしのオリジナル塗装に戻っていました。ところで3006編成の最初の塗装は、屋根周りのピンク色がドアの上端あたりまで下がっており、当時の3005編成共々垢抜けない感じでしたが、いつのまにか他の3000形と同じ塗分けになっていました。3006編成導入当初の画像は第96話をご覧下さい。

 

4.3007編成 (荒手車庫:1994年4月)

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この日は、3007編成は出庫せずお休みの様です。奥の方には高床車の1090形が見えます。もう除籍されてからずいぶん経っていましたが、何の目的なのか、いつまでも放置されていました。1090形については別途お伝えします。

 

5.3005編成 (阿品~地御前:1994年4月)

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この頃の3005編成は広告電車になっていました。3000形の広告電車は市内線車両とは違い、まだ全面広告ではありませんでした。

 

6.3008編成 (荒手車庫:1994年7月)

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3000形は新系列の軽快電車増備により、徐々に活躍の場が狭まった感じでしたが、この頃から市内線の輸送力増強のため、市内線に転じるようになりました。特にラッシュ時の市内線1系統、5系統の広島駅前~宇品2丁目間は両運車では乗り切れない程の混雑でした。3000形は3001編成こそ1992年に廃車されましたが、3連接の輸送力を武器に残りの7編成はしぶとく生き残ります。