1994年GWの立山砂防軌道の話題を第927話~第929話でお伝えしましたが、1994年は雪解けが遅く、砂防軌道はまだ水谷まで開通していませんでした。よって、砂防軌道の撮影予定が空いてしまいました。その穴埋めに富山地鉄の撮影を行いましたが、五月雨に遭い、どうもよろしくありません。
1.モハ10034+モハ10033 (魚津~西魚津:1994年5月)
この日は小雨がぱらつくスッキリしない天気でしたが、こんな日は新たな撮影ポイントを探すのにちょうど良く、まずは黒部線のロケハンです。はじめは魚津あたりで撮影しましたが、住宅が多くて景色もイマイチだったので、宇奈月方面に向かいました。
2.モハ10036+モハ10035 (下立~愛本:1994年5月)
ここは宇奈月に近い愛本です。立山線の横江付近にも似た感じの場所ですが、開けた場所が少ないので、同じ様な写真しか撮れません。
この頃の富山地鉄は、元京阪特急のモハ10030系が8編成揃い、なんだか京阪電車ばかり走っている様でした。逆に旧型の吊掛車は淘汰が進み、モハ14750形が辛うじて2両残っていましたが、見かけることはほとんどありませんでした。
3.モハ10032+モハ10031 (下立~愛本:1994年5月)
再び京阪特急が現れましたが、この当時は京阪特急色が2編成いました。それにしても京阪電車しかやって来ません。8編成もあるとこうなってしまうのか、他の車両はどうなっているのか?
4.モハ10026+モハ10025 (下立~愛本:1994年5月)
ようやくオリジナル電車の登場です。京阪勢力に押されて影が薄くなったモハ10020形の雷鳥塗装車でしたが、この日は特急の運用に入っていました。
5.JR485系3連 (下立~愛本:1994年5月)
本物の「雷鳥号」も来ました。一時期JRからの乗り入れはなくなりましたが、1990年から復活しました。全て観光シーズンの臨時でしたが、昼行特急の立山行と宇奈月行の「雷鳥号」及び、夜行急行の立山行「リゾート立山号」がすべて485系3連の付属編成で運転されていました。
6.モハ10031+モハ10032 (釜ヶ淵~下段:1994年5月)
愛本付近は天気がよければ北アルプスが目前に聳えているので、山を背景に迫力ある写真が撮影できますが、曇っていては話になりません。結局いつもの立山線の釜ヶ淵に戻ってきました。こちらは広大な水田地帯ですが、天気も列車もほとんど変わらず、これではどこに行っても同じです。
7.モハ14760形2連 (下段~釜ヶ淵:1994年5月)
この日、黒部線では見なかったモハ14760形でしたが、立山線で走っていました。やはりこの車両を撮らないと、富山に来た実感が湧きません。