ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1077話 1994年富山地鉄:立山参りの副産物(その3)

この頃の地鉄電車は、14710系がなくなったので、鉄道線の旅客車両はすべてクロスシート車でした。やはり観光輸送に重点が置かれていたようです。元京阪特急の10030系の大量導入により、オリジナルである初期のカルダン車は少し影が薄くなりましたが、幅広く運用されていました。

 

1.クハ171+モハ14721 (釜ヶ淵~下段:1994年10月)

新塗装の14720系が山を下りて来ました。このクハ171は元14720系の中間車だったサハ221をクハ化した車両ですが、車体長がモハ14721より1mほど短い異端車でした。14720系は元々3連が1編成でしたが、2連化されて2編成在籍しました。

 

2.クハ171+モハ14721 (釜ヶ淵~下段:1994年10月)

14720系は製造時期が10020系と重複していますが、14720系は1M方式でモーター出力も大きかったので10020系とは区別されましたが、増備されたのは10020系でした。しかし、運用の見直しで10020系ともども2連化されましたが、編成の組み替え時には1M方式は融通が利くメリットがあり、MT化できない10020系で余ったサハ222をクハ172に改造してモハ1472と2連化しました。ちなみに、この当時の14720系は2編成共に新塗装になっていました。

 

3.クハ175+モハ14768+モハ14767 (釜ヶ淵~下段:1994年10月)

今度は混色編成がやって来ました。これがこの頃の地鉄のお楽しみでした。先頭がクハ175と14760系の3連です。クハ175は増結用として、14760系と同時期に同じスタイルで1両だけ製造された車両です。当時、増結用のクハは、クハ173,174と併せて3両在籍していましたが、クハ173,174は元々10020系が3連時代の中間車であるサハ223,224の改造車でした。よって、クハ173,174はモハ10020系と同じ車体と顔をしていたので、クハ175は別形式車の様ですが、この増結用クハ3両はどの車両にも連結で来ました。

 

4.クハ175+モハ14768+モハ14767 (釜ヶ淵~下段:1994年10月)

この3連は、同じスタイルですが、塗装が違うと別車両の様に見えます。クハの貫通面は非貫通です。もっとも、連結相手はことごとく非貫通なので貫通化する必要はありません。

 

5.モハ14772+モハ14771 (釜ヶ淵~下段:1994年10月)

この日は雷鳥塗装の14760系がよく現れました。しかし、京阪特急は宇奈月方面に集合しているのか全く現れませんでした。

 

6.モハ14772+モハ14771 (釜ヶ淵~下段:1994年10月)

GWに比べると、この日の運用はとても淡白でした。この年の観光シーズンも終盤のようでした。