ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1366話 1994年野上:野次馬現る頃(その4)

この日の天気は晴れたり曇ったりでしたが、日中は2連が2本とも走り続けて夕方になりました。夕方は日没まで撮影できる重根に向かいました。

 

1.モハ32+モハ31 (幡川~重根:1994年3月)

ここはいつもの撮影ポイントですが、この向きで2連を撮るのは初めてでした。同好者もチラホラいました。お互いを写さないように要注意です。おまけに架線柱が煩わしい場所なのでシャッタータイミングに神経を使います。

 

2.モハ32+モハ31 (幡川~重根:1994年3月)

ご覧の通り、夕方になっても結構混んでいます。会社解散が決まってからこんなに乗客が増えても意味がありませんが、この乗客は会社解散が決まったから乗りに来ているので、困った乗客です。

 

3.モハ25+モハ26 (幡川~重根:1994年3月)

この列車は日方行ですが、帰り客でかなり混んでいます。夕方は3列車運用となりますが、3本目も2連になるかもしれません。そうなるとモハ24とモハ27の2連になるはずです。

 

4.モハ25+モハ26 (幡川~重根:1994年3月)

登山口行の列車が来た時、タイミング良く西陽が射しました。ようやく野次馬は減って来た様です。

 

5.モハ27 (幡川~重根:1994年3月)

3列車運用となり充当されたのは、モハ27の単行でした。もう野次馬も減って来たようで、さすがに2連が3本走ることはありませんでした。

 

6.モハ32+モハ31 (幡川~重根:1994年3月)

日方行の列車はまだ帰り客で混んでいますが、日没も近くなり、もうそろそろ2連は終わりです。そう言えば、この日はまだ食事を採っていませんでした。無性に腹が減ったので、このあとは日方に引き上げました。

廃止まであと10日ほどでした。この様子では祝日(春分の日)である翌日も2連が走りそうでした。よって、この日も海南の常宿に連泊し、翌日も朝っぱらから活動開始です。翌日の様子は別途お伝えします。