ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

号外2025.09.04:鶴見臨港99周年(その4)

今回は新芝浦~海芝浦間の様子です。この区間は電車の車窓から禁断の東芝構内の引込線がちょっとだけ拝めます。とても興味をそそる車窓です。

 

1.東芝構内海芝浦支線 (新芝浦:2024年6月)

写真1は新芝浦駅のホームから海芝浦方面を撮影したものです。この先は東芝の構内です。線路は複線で続きますが、旅客列車はこの先、左の線路を単線で使用し、右側の線路は引込線の扱いです。

 

2.海芝浦支線車窓 (海芝浦~新芝浦:2024年6月)

写真2は電車の車窓から気になる引込線を撮影したものです。画像が少し暗いですが、これは電車のガラスの影響です。また、空に室内灯の光が写り込んでいますがご了承下さい。この区間は複線ですが、実態は鶴見線と構内引込線がそれぞれ単線で敷設されています。写真の右下に僅かに写っているのが鶴見線と並行する引込線です。その引込線から分岐して構内にカーブする線路が写っていますが、その線路と交差するもう1本の並行線路も写っています。

 

3.海芝浦支線車窓 (海芝浦~新芝浦:2024年6月)

写真3はもう少し海芝浦寄りを撮影したものです。そこにも分岐する線路が見えましたが、走る電車からでは一瞬の出来事です。じっくり見るには電車から降りて歩くしかありませんが、この区間東芝の構内なので、それができない、とても敷居が高いところです。

 

4.海芝浦支線車窓 (海芝浦~新芝浦:2025年7月)

写真4は海芝浦支線が京浜運河に突き当たって西に直角に曲がる場所です。まもなく終点の海芝浦ですが、その近くまで構内線が並行して工場内に入って行きます。この構内線から大物貨物が出荷されて行きます。一度見てみたいものですが、浅野のヤードを見る限り、近年は大物貨物の運行はなさそうです。そうなるとここの引込線もなくなるのは時間の問題のようです。

 

地図1.海芝浦周辺図(引用:国土地理院1/10000地形図「扇島」昭和60年発行)

この地図は昭和60年頃のものですが、新芝浦~海芝浦間に東芝京浜事業所の引込線が記載されています。現在もそれほど変わっていない様です。この地図によれば、写真1の構内にカーブして行く線路は、工場の西側へ回り込む構内線の様です。そして、ここにはスイッチャーがいるはずですが、見ることはできません。また、海芝浦まで続く線路は国鉄臨港線と表示されていますが、海芝浦まで複線となっており、海芝浦のホームは島式で現在とは異なっています。

 

5.海芝浦駅ホーム (海芝浦:2024年4月)

新芝浦からあっと言う間に海芝浦に到着です。写真5は海芝浦駅のホームです。地図1を見ると、かつての海芝浦駅は複線の島式ホームだった様ですが、現在は単線の1面1線です。ここは駅の外には出られない困った終点です。まあ、駅自体が東芝の構内なので仕方ありません。しかし、最近は私の様に冷やかしでここまで乗車する暇人が増えた様です。

 

6.海芝公園の案内 (海芝浦:2024年6月)

列車本数の極端に少ない休日などに、何も知らずにここへ散策に来て、折り返しの電車に乗らなかった人は、帰りの電車までこのホームでじっと耐えるしかありませんでした。しかし、現在はそのような惨めな人達のために、東芝さんの計らいで「海芝公園」という待機場所が出来ていました。

 

7.海芝浦駅からの眺め (海芝浦:2024年6月)

海芝浦駅からは、首都高速湾岸線鶴見つばさ橋が望めます。とても景色の良いところですが、ここは観光地ではなく、東芝の工場内です。

 

8.海芝浦駅からの眺め (海芝浦:2024年6月)

こちらは京浜運河の対岸である扇島です。扇島はJFEスチールの巨大な製鉄所で有名ですが、2023年9月に第2高炉が休止となり、もう過去の話になってしまいました。この製鉄所には構内鉄道もありましたが、製鉄所なき跡地はどうなってしまうのか?。

 

9.E131系1000番台3連と京浜運河 (海芝浦:2025年7月)

写真9は海芝浦駅に停車中の電車を撮影したものですが、こういうのが臨港線らしい光景ということでしょうか。しかし、黒い顔の電車がイマイチです。ここは乗って来た電車で、とっとと帰るか、列車本数の多い平日の朝に来るのが良い様です。

つづく