ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第982話 1993-94年広島:広電の西鉄電車(その4)

今回は宮島線内を走る3000形の撮影です。やはり、海を入れて撮影したかったので、阿品付近の写真ばかりです。ところで、当時の「阿品駅」は現在の「阿品東駅」です。現在の「阿品駅」は「田尻駅」と称していました。これは、JR山陽本線に阿品駅が開業した関係で、隣接する田尻を広電阿品としたためですが、当ブログでは、「阿品東駅」を撮影当時の駅名である「阿品」としています。

 

1.3007編成 (阿品~地御前:1993年12月)

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阿品付近には、かつて「広島ナタリー」というローカルな遊園地がありました。私が広島に住んでいた1974年頃に開園し、当時まだ無名だったキャンディーズを起用したCMが印象的でした。その遊園地への最寄り駅が広電の阿品駅でしたが、少し離れていたため、遊園地の近くに田尻駅ができ、それ以来、阿品駅は閑散としていました。そして「広島ナタリー」はバブルの崩壊と共に衰退し、1996年に閉園となり、現在この一帯は元々の牡蛎養殖場に戻った感じです。

 

2.3005編成 (阿品~地御前:1993年12月)

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阿品駅には国道2号線と広電を跨ぐ跨線橋が直結されており、その跨線橋から撮影するとこんな感じです。ちょっと電線が邪魔ですが列車の屋根上機器も綺麗に撮れました。元西鉄1100形由来の3005編成がやって来ました。この頃、3000形で無広告だったのは3005編成だけでした。車体裾周りのピンクラインもなくて、オリジナルの塗装でした。

 

3.3007編成 (阿品~地御前:1993年12月)

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この写真も跨線橋から撮ったものですが、海に浮かぶ「いかだ」の様な所が牡蛎養殖場です。10年程前にこの場所を訪れましたが、手前の緑地帯の樹木がすっかり成長しており、列車が隠れて撮影が困難になっていました。

 

4.3003編成 (阿品~地御前:1994年4月)

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宮島線は意外と撮影ポイントがありませんでした。かつて、昭和30年代は阿品以外に井口辺りも海際を走っていたそうですが、高度経済成長期の広島湾の埋め立てによって景色が一転しました。私の子供の頃は、ちょうど草津、井口辺りを盛んに埋め立てており、広大な荒野だった記憶があります。

 

5.3008編成 (阿品~地御前:1994年2月)

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西広島行の電車です。宮島線は線内利用客も結構いたので、市内線に直通しない列車も運行されていました。かつては、宮島線用の高床車が存在しましたが、1991年に高床車の運行が廃止されて完全にLRT化されました。

 

6.3002編成 (阿品~地御前:1994年4月)

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瀬戸内海が干上がっていますが、ちょうど干潮時です。子供の頃、この様な干潟でよく潮干狩りをしました。写真をよく見ると潮干狩りをしている人がいます。しかし、写真を撮るならやはり満潮時です。