ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1063話 1993-94年広島:広電の2000形(その2)

この頃の2000形は日中は走行する姿を見る機会が減りましたが、荒手車庫に行けばいつでも見ることができました。日中の荒手車庫は軽快電車が出払って残った2000形や3000形により1980年代を彷彿させる光景が見られました。

 

1.2005+2004 (荒手車庫:1994年4月)

2000形は9両製造されましたが、3回に分けて導入されました。1次車となった2001~2003は1960年ナニワ工機製で、2次車の2004以降は広電自社製となり、2004~2007は1962年製、2008,2009は1963年製でした。台車は日車製の珍しいトーションバー台車を履いており、1次車はNT504、2次車以降のNT508は2500形にも採用されました。

 

2.2007+2006 (荒手車庫:1994年4月)

トーションバー台車とは聞き慣れない台車でしたが、もともとスイスのSIG社製の台車でスイスでは結構採用実績があった様です。日本では広電と遠州鉄道以外に名鉄3700形で採用された程度であまりはやりませんでした。しかしながらこの台車は枕ばねにトーションバーの捻り反力を利用したゲテモノ台車です。コイルばねに比べてばね定数が高そうですが、アンチローリングには効果がありそうな台車です。

 

3.2009+2008 (広電西広島:1993年8月)

この頃の2000形は日中の走行機会が減っていましたが、それでも多客時は宮島線と市内線を直通する運用に充当されていたほか、宮島線内の運用にも使用されていました。

 

4.2005+2004 (広電西広島:1994年2月)

ここは広電西広島ですが、このホームは宮島線折返し用の行き止まりホームです。宮島線専用の高床車亡き後、このホームは2000形のためにあるようなものです。

 

5.2005+2004 (高須~東高須:1994年3月)

さて、ここからは宮島線を走行する2000形の様子です。まずは高須付近を走る2005+2004です。もう40年以上も前のことですが、このあたりは、かつて私が住んでいたところです。この頃はまだ住んでいた頃の面影が十分にありました。こんな電車が来ると昔に戻った様な気がしました。

 

6.2007+2006 (広電五日市鈴峯女子大前:1994年2月)

続いて八幡川の鉄橋です。広電の線路の左側は山陽本線が併走しています。1977年に隣の鉄橋で都落ちして来た国鉄の80形湘南電車を撮影しました。その時の写真は第900話をご覧下さい。その当時から山陽本線を走る電車も変わってしまい、当然広電の電車も変わってしまいましたが、この2000形だけは当時から走り続けていました。