広電にとって軽快電車はボロ電脱却の起爆剤となったことは確かだと思います。
ところが軽快電車はいろいろ課題が多く、即増備とまで至りませんでした。しかし、宮島線車両の老朽化や市内線直通車の不足は待ったなしで、その救世主となったのは西鉄から譲渡された元福岡市内線の連接車達でした。
1.老朽化が問題の高床車1030形1033 (高須~東高須:1980年12月)
山陽新幹線の博多開業以降、広島の人口は急激に増加し、宮島線の輸送需要も伸びて両運車では輸送力不足となってきました。そうなると連結運転ができない車両は先がありません。この1030形は元西鉄福岡市内線改造の3連接車が増備されると代替に廃車となりました。
2.一見新車の3000形3001編成 (荒手車庫:1980年8月)
1977年に西鉄から譲受した元福岡市内線の連接車は荒手車庫の裏でボロボロに朽ち果てそうでしたが、1979年に自社にて3000形3001A+C+B(注1)として見事に3連接車に生まれ変わりました。写真はまだ非冷房時代のものです。この年、軽快電車が導入されましたが 3000形は増備が続き、最終的に1300形も3連接化に巻き込んで、長らく主力の座に就きました。
(注1)3000形3001編成の車歴
・広電3001B←西鉄1208A:1963年汽車会社製
3.先行投入された1300形1306編成 (荒手車庫:1980年7月)
元西鉄福岡市内線の1300形は番号もそのまま、大きな改造もされずに手っ取り早く2連接で運用に投入されました。 唯一オリジナルから変更されたのが前照灯を腰部のオヘソライトから頭上に移設しシールドビーム2灯化したことですが、このあたりが広電のこだわりと思われます。広電の塗装色も結構似合っており、見た目が可愛い車両でした。
4.2500形2513+2514、1300形1305編成 (荒手車庫:1980年7月)
古風な2500形3次車と1300形のツーショットです。2513+2514はこの後1984年に3連接車の3700形が投入されると真っ先に廃車となりました。
5.2500形2510+2509 (荒手車庫:1980年11月)
2500形は2000形と共に市内線直通として広電の顔となっていましたが、増加する輸送需要対策としてこの車両もやがて3連接化されます。
6.1050形1054+1053 (荒手車庫:1980年7月)
この時期、市内線直通車だけではなく宮島線の高床車も輸送力増強で1M車の2連化が図られました。その最初となったのは1050形1053+1054(注2)です。先にもご紹介しましたが、1050形は4両在籍し主制御の違いから1051,1052と1053,1054の2グループに分類され、先ずは1980年に1053+1054が片運、2両固定化されました。改造は最小限となり連結面の貫通化と前面に大型方向表示が設置された程度で、広電最大の輸送力編成となりました。
(注2)1050形1053+1054の車歴
・広電1053+1054←広電1051,1052←京阪神229,230:1924年東洋工機製
ところが不可解なのが残った1051,1052です。こちらは2連化どころか1980年に廃車となり、しばらく放置されていましたが、1982年に2連化されて復活します。その際に先行の1053+1054と主制御が統一され、1050形は新たに1090形に改番されて冷房化されます。そして宮島線高床車では一番長生きしました。