ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第96話 1981年広島 ヒロ電ボロ電の頃(その7)

1981年当時、私は高校生でしたが部活の関係で鉄道趣味は一番手抜きだった時期です。そのため鉄道写真は少なく、カメラの手入れも悪かったためか、カメラの調子が今一つ宜しくなかったです。当時のプリントを見ても何となくぼやけて不鮮明で、絞りも怪しい感じです。よって、スキャンした画像も粒子が荒く、そのままではとても人前に出せるようなものではありません。画像修正に相当手を焼きました。しかし時間を掛けた割に出来栄えはよくありません。しかし、それでも無修正に比べれば何とか耐えられると言ったところでしょうか。

 

1.とうとう予備車的存在となった1033 (荒手車庫:1981年2月)

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3000形が増えてくると古老の出る幕はなくなります。1030形で最後に残ったのは1033でした。この車両は予備車的存在となり、1986年まで生き延びました。 

 

2.まだまだ主力の大型車1081+1082 (荒手車庫:1981年2月)

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 3000形が増えるなか、2連の大型車は主力として健在でした。それだけ輸送需要が増加していたからです。宮島線は沿線に学校も多く、線内利用も結構ありラッシュ時のまとまった輸送には大型車が欠かせませんでした。

ところで写真の右奥にこっそり鎮座している軽快電車ですが、しばらく庫内に引っ込んだままの状態が続いており、運用1年目にしてすでに主役を離脱した感じでした。

 

3.いよいよ3連化される1306編成 (荒手車庫:1981年2月)

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この頃3000形は1305編成を種車とする3007編成が改造中でしたが、いよいよラストの3008編成を改造着手するため1306編成が見納めとなりました。1300形は見た目が愛嬌のある表情で好ましい車両でした。3連化改造後も外観上はさほど変化ありませんが、中間ドアが折り戸から引き戸に変更され、車体裾のRもなくなり、前面方向表示 が大型化されるとかなり雰囲気が変わってしまい、なにより3連接はデカイので可愛らしさがなくなってしまいました。

 

4.輸送力が厳しくなってきた2500形 (小網町~天満町:1981年8月)

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 この写真は何の目的で撮ったものか記憶にありませんが、この場所は交通量が少なく石畳の併用軌道区間でなんとなく情緒があります。1年程前に久々に広島に出向きこの辺を歩きましたが雰囲気は当時のままでホットしましたが、やって来る電車はさすがに超低床式LRVなどの新系列ばかりで撮影する気にもなれませんでした。

 

5.3000形のゲテモノ3006編成 (小網町:1981年8月)

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さて、寄せ集めで3連化された3000形ですが数が増えてくるとやはり変なのが発生しました。それが3006編成です。この編成はよく見ると中間車だけ車体断面が違います。これは先頭車と中間車で種車が異なったためで、先頭車は元西鉄1200形で中間車は改造の過程で半端となった元西鉄1100形 だからです。3005編成は元西鉄1100形で統一され、ちょっと変わった外観の3000形となったことは、第95話で説明しましたが、3005編成の3連化で余った1両を捨てるわけにもいかず、3006編成に組込みました。なぜか中間車にあわせて屋根周りのピンク色も3005編成と同様に帽子を深く被ったスタイルです。

 

6.検査中の2000形2003+2002 (荒手車庫:1981年6月)

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 荒手車庫には時々意味もなく電車を見に行きました。広電は日常生活そのものだったのであまり気にも留めませんでしたが、ほんの数年前のボロ電は明らかに変わりつつありました。