今回は広電オリジナルの市内線旧型車両では最年少の350形の話題です。
この車両については第387話でもお伝えしていますが、元は850形という宮島線直通車として、1958年にナニワ工機で3両製造された間接非自動制御の車両でした。
広電の定常的な宮直通運転は、通勤時間帯にこの車両が登場した1958年からはじまりました。これが広電の本格的なLRT化の始まりとなったわけですが、その後直通車の需要が増しますが、この車両の増備はなく、新たに2000形、更に連接車の2500形へと発展します。
2.351 (宇品:1993年11月)
宮島線の直通運転は、1967年には廿日市~広島駅前間で15分ヘッドの運行となり、850形はピンク色の直通車塗装に塗り替えられて運用されましたが、その後も2000形、2500形の増備が続き、やがて850形は市内線に追いやられてしまい、1976年には350形に改番されて市内線車両に落ち着きました。
3.352 (宇品:1994年2月)
しかし、この車両も550形同様に元宮島線直通車であったプライドから、直通車の認可を継続し、パンタグラフを搭載しています。制御も直通車当時のまま、少数派の間接非自動制御でしたが、他の車両に交じって運用されていました。
4.353 (宇品:1994年2月)
350形は3両共同じ場所で捉えることができました。さすがに三つ子だけあって、車番がなければ見極めが全くつかないほど同じ車両です。唯一の見極めは車体の広告です。
5.352 (胡町:1993年8月)
この当時350形は3両共元気で、しかも全車オリジナル塗装だったので、車両数が少ない割に撮影機会は結構ありました。
6.353 (宇品:1993年8月)
350形以降は市内線用の新製車両はしばらくありませんでした。この次に現れた市内線用の新車は、2代目700形で1982年まで24年間も間が空きます。その間は広電も路面電車の低迷期となり、臥薪嘗胆が続きましたが、他路線の中古車で運用を賄うことになりました。
7.352 (段原大畑町~比治山下:1994年5月)
その後の350形は幸い全車健在の様です。気が付けば戦後復興期の広電スタイルを継承する唯一の形式となりました。
さて、広電市内線の旧型オリジナル車両の話題はとりあえず以上です。今後も市内線譲受車、宮島線直通車など、当時の状況を追ってお伝えします。