広電で活躍した各地の路面電の1993年~94年頃の様子を時々お伝えしていますが、今回は元京都市電です。
広電は昭和40年代から、大阪市電や神戸市電から多くの路面電車を譲受し、老朽化した市内線車両の置き換えを進めていましたが、その最終段階と言えるのが京都市電の譲受でした。
京都市電は1978年に全廃されましたが、全廃前の1977年にまず2両の1900形を譲受され、続いて全廃後の1978年に13両が譲受されました。京都市電の1900形は全16両製造されましたが、1両は京都時代に事故廃車となり、残った15両が全て広電に移籍し、形式も1900形を踏襲しました。
2.1903 (宇品:1993年8月)
京都市電1900形は、すでにワンマン化もされており、譲受後すぐに運用されるのかと思っていましたが、細々とした改造を受けて、竣工は1979年からでした。さすがに15両も譲受すると置き場所も大変で、宮島線の荒手車庫にも何両か留置されていました。
3.1904 (宇品:1993年8月)
導入後の1900形は、各車に京都を因んだ愛称がつけら、塗装も京都時代のままでした。私は京都市電には何度か乗ったことがあったので、広島を走る京都市電には、なんとなく違和感がありましたが、1993年に再会した時点ではすっかり広島の電車になっていました。
4.1903 (宇品~向宇品口:1993年8月)
1993年当時の広電は、古い車両も一般運用に充当される車両のほとんどが冷房化されていました。この冷房化ですが、広電では1900形が最初でした。1900形の冷房化は、私がまだ広島に住んでいた1980年から開始されましたが、その頃は路面電車の冷房化はまだ初期の頃だったので、試作的な部分もあり、最初の2両(1901,1913)はバス用のエバポレータを使用したDC駆動の分散型が採用されました。
5.1915 (八丁堀:1993年8月)
その後、路面電車用のクーラーが登場し、結果的に1900形には3種類の機種が搭載されましたが、3番目の機種であるSIV併用の集中型がその後の主流となりました。
6.1909 (胡町:1993年8月)
1900形の導入により、旧700形や750形の一部が廃車となりましたが、差し引きした結果は増車となりました。しかし、その数年後から老朽化した750形の廃車が始まると、もう中古車のあてはなく、いよいよ新車の導入となりました。