この頃、元国鉄キハ20形を再利用する私鉄路線は茨城交通以外にも、水島臨海鉄道と島原鉄道がありました。これらの鉄道会社にとって、元国鉄キハ20形は、老朽車の置き換えとして、まとまった両数が確保できた、ちょうど手頃な車両だった様です。しかし、車両メーカー側は中古車のたらい回しによって新車が売れず、煙たい話です。
1.キハ203 (金上~中根:1993年10月)
各地に出回った元国鉄キハ20形ですが、外観に変化があったのは茨交の4両だけでした。具体的な変化は、前照灯をオデコから腰位置に降ろして2灯化された程度ですが、これは、前ユーザーだった鹿島臨海鉄道で改造されたものでした。この改造で海坊主の様な風貌になってしまい、改造前の方が良かったです。
2.キハ201 (金上~中根:1993年10月)
しかし、外観の変化以外はトイレを撤去したくらいで、島原や水島臨海が冷房化やワンマン化を進めるなか、茨交のキハ20形はそのままでした。
3.キハ201 (金上~中根:1993年10月)
この頃の茨交は、お隣の鹿島鉄道に比べて合理化やサービス面でかなり出遅れていた様に感じました。いつまでこの状態が続くのか気になっていましたが、冷房化は実施されませんでした。
4.キハ203 (金上~中根:1993年10月)
茨城交通が、いよいよ新車の導入に踏み切ったのは2年後の1995年でした。ご存知の通り、NDCの導入となりましたが、JR九州キハ125形タイプの平凡な18m貫通タイプです。分割併合の多い茨交では無難な選択でした。
5.キハ203 (金上~中根:1993年10月)
さて、話題を撮影に戻しますが、結局この日はキハ20形しか走っていませんでした。天気は申し分なく最高の秋晴れでしたが、同じ車両ばかりで、しかもキハ20形では気合も入りません。
6.キハ203 (金上~中根:1993年10月)
夕方になれば、多少運用が変わりますが、これ以上同じ車両ばかり撮っても仕方ないので撤収です。この日は何をしに来たのか、空振りの一日でした。