ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第641話 1991年茨城交通:坊主頭!現る

1991年のGWに3年ぶりの茨城交通を訪問しました。

1990年代になるとどこの鉄道も古い車両の淘汰に拍車がかかり、私はにわかに忙しくなりました。しかしその反面、古い車両が少ない鉄道には足が向かず、気が付けば茨城交通などは、3年も訪問せずじまいでした。

 

1.キハ1103他 (那珂湊:1991年4月)

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 3年ぶりの那珂湊には、相変わらずの湘南気動車がいました。もうほとんどの車両がアメリカン塗装となっていましたが、見かけぬ坊主頭の車両が・・・。

 

2.キハ1103 (那珂湊:1991年4月)

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 旧塗装で残っていたのは、元留萌のキハ1103でした。塗装は塗り替えたばかりなのかまだ新しい感じですが、なぜか新塗装にはならず旧塗装です。この車両には新塗装は似合わないと悟ったのか?

 

3.キハ201他 (那珂湊:1991年4月)

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 そして見かけぬ坊主頭の正体は、元国鉄キハ20系でした。しかし、このキハ20系国鉄オリジナルではなく、茨城交通に来る前は川向うの鹿島臨海鉄道にいたキハ2000形で、少々改造されて坊主頭になっていました。このキハ201は1990年に導入され、追って仲間も茨城交通にやってきました。

 

4.ケキ103 (那珂湊:1991年4月)

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 この時点でキハ20形は2両導入されましたが、なぜか廃車はなく、当然車庫内が窮屈となり、そのしわ寄せで仕事がないケキ103が庫外に追い出されてしまいました。

 

5.キハ202 (中根~那珂湊:1991年4月)

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 この日は少しだけ沿線撮影を行いました。早速主力となったキハ20形(注1)がやって来ました。このキハ202はこの年に導入されたばかりです。しかし、この坊主頭のアメリカン塗装も強烈です。やはりこの車両には、オデコのライトが一番似合います。

結局茨城交通鹿島臨海鉄道キハ2000形を1992年までに4両全て譲受しました。導入時にトイレ撤去などの改造が行われました。

(注1)キハ20形の車歴

・茨交キハ201←鹿島臨海キハ2002←国鉄キハ20421:1961年帝国車輌製 

・茨交キハ202←鹿島臨海キハ2003←国鉄キハ20274:1960年東急車輛

・茨交キハ203←鹿島臨海キハ2001←国鉄キハ20429:1961年日本車輌

・茨交キハ204←鹿島臨海キハ2004←国鉄キハ20243:1959年東急車輛

 

6.キハ221 (中根~那珂湊:1991年4月)

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 続いてやって来たのは、元羽幌のキハ221です。慣れと言うものは恐ろしいもので、あれほど拒絶反応を起こしていたアメリカン塗装が違和感なくなってきた様です。

 

7.キハ221 (那珂湊~中根:1991年4月)

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 この辺りは、例年GW頃に田植えが行われます。この田圃も水が張られてまもなく田植えが始まります。

 

8.キハ221 (中根~那珂湊:1991年4月)

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 この頃のキハ221は、まだワンマン化されておらず、デッキ付きの暑苦しい車両でした。前面の旋回窓が道産子の名残りです。

この当時、同県内の鹿島鉄道では、すでに冷房車のNDCが投入されていましたが、当時の茨城交通はいたってマイペースでした。その後もしばらくは、旧国鉄タイプの時代が続きます。