ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第642話 1992年福井:前近代的LRTの頃

1992年は北陸方面によく出向きました。目的は立山砂防でしたが、そのついでに北陸地方のローカル私鉄早回りも行い、毎度の如く早回りの最後は福井でした。福井鉄道には1985年から訪問を続けていました。最初の頃は惰性で立ち寄る程度でしたが、他の路線が旧型車の置き換えを進めるなか、いつしか福井鉄道は、旧型車の砦になっていました。

今回は、1992年当時の福井鉄道旧型車両の総括です。

 

1.モハ122-2+モハ122-1 (西武生:1992年8月)

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 モハ120形は、モハ300形の導入により淘汰の運命と思っていました。しかし、2編成の内モハ121編成が1992年3月に廃車となりましたが、モハ122編成(注1)は残りました。残ったと言っても、この時点では完全な予備車扱いだったので、ほとんど車庫内で昼寝状態でした。

 

2.モハ122-2+モハ122-1 (西武生:1992年8月)

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 (注1)モハ122編成(モハ122-1+モハ122-2)の車歴

・福井モハ122-1←福井モハ122:1950年日本車輌

・福井モハ122-2←福井クハ122←福井クハ151←名鉄モ3001←三河デ302:1929年日本車輌

モハ122-1は、福鉄自社発注の運輸省規格型電車で、モハ121-1とは兄弟車でした。一方、モハ122-2は、モハ121-2と共に南越線から転籍してきた元名鉄の車体流用車両で、モハ121-2とは兄弟車でした。生き残ったモハ122編成は、その後青天の霹靂で、ワンマン化、カルダン化されて予備車の肩書のまま、まだまだ生き延びます。

 

3.モハ143-1+モハ143-2 (田原町:1992年8月)

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 モハ140形は3編成とも、相変わらず各停運用で健在でした。

以前にもお伝えしましたが、このモハ140形は3編成とも田原町寄りのパンタなし車両が元名鉄モ900形ですが、武生新寄りのパンタ付き車両はモハ141編成とモハ142編成が元長野モハ300形、モハ143編成は自社の旧モハ42でした。

写真のモハ143-1は、福鉄鯖浦線の前身である元鯖浦電鉄の車両です。この編成を組むため、種車であったモハ42の車体長を2m延長する大改造を1981年に自社工場で受けました。モハ143編成の車歴は第80話をご覧下さい。

 

4.モハ143-2+モハ143-1 (田原町:1992年8月)

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 そして、モハ140形で最後の竣工となったこのモハ143編成は、他の2編成と異なり、妻窓が国鉄101形モドキの3連凹み窓になったので、異様な雰囲気の車両となりました。しかも前後で種車が異なるので、体裁が微妙に異なり、妻面の雨樋がモハ143-2はアーチ形でややソフト、モハ143-1は直線でイカツイ感じです。

 

5.モハ143-1+モハ143-2 (神明:1992年11月)

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 この写真は、神明駅に留置中のモハ143編成です。この頃は神明折返しの運用があり、日中は神明の側線で1列車が待機していました。日替わりで車両が替わるので、ここはモ140形の形式写真を撮るには好都合でした。

 

6.モハ143-2+モハ143-1 (神明:1992年11月)

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 この写真も神明の留置車両です。こちら側の車両は午後は逆光になりました。午前中は柵のある方から順光となるので、撮影は曇りの日が適していました。