1992年時点、浅野川線の車両は変化なしと思っていましたが、そうではありませんでした。北鉄金沢駅に見たことあるような、しかし、知らない番号の車両がいました。
1.クハ1301+モハ5101 (北鉄金沢:1992年8月)
このクハ1301(注1)は、実は石川線にいた旧モハ3762でした。
石川線の東急7000系導入で余剰となったモハ3762でしたが、まだ車体更新したばかりだったので、電装解除してクハ化して浅野川線に転籍しました。そして浅野川線ではかつての兄弟車であるモハ5101とコンビを組みました。ところで、クハ1301の転入により、クハ1203が廃車となっていましたが、クハ1203の台車がクハ1301に流用されました。
(注1)クハ1301の車歴
・北陸クハ1301←北陸モハ3762←北陸モハ5103:1951年広瀬車輌製
2.クハ1212、モハ3011 (内灘:1992年8月)
この頃の浅野川線は、日中はほぼ2連の運用で、ラッシュ時は3連となっていました。よって、ほとんどの列車がMT編成となっており、その組合せがお楽しみでした。
3.クハ1212 (内灘:1992年8月)
興味が持てたのはクハでした。モハに比べてクハはスタイルに一貫性がなく様々で、車体更新により更にブサイクさに磨きがかかりました。このクハ1212は、同僚のクハ1211ともクハ1210形ですが、2両とも全くスタイルが異なりました。クハ1211はモハ5100形の様な雨樋付きですが、このクハ1212はご覧の通り、当初から張り上げ屋根でした。また、この2両は将来的に電車化を想定してサハとして製造されたそうですが、結局電動化されず仕舞いでした。
(注2)クハ1210形の車歴
・北陸クハ1211←北陸クハ1711←北陸サハ2001:1956年自社工場製
・北陸クハ1212←北陸クハ1712←北陸サハ2002:1956年東洋工機製
4.クハ1001 (内灘:1992年8月)
クハ1001は相棒のモハ3201と同時に製造されて、編成美でしたが、モハ3201だけが車体更新を受けてノーシル・ノーヘッダーとなり、編成美が崩れました。
このように、北陸鉄道の伝統的ブサイク車両は浅野川線で健在でした。
5.モハ3563 (内灘:1992年8月)
この日もモハ3563は昼寝でした。この車両の走行など絶対に見ることはできないと、いつも諦めていましたが、後に走行を撮影できる機会が訪れました。
6.保線用軌陸車 (内灘:1992年8月)
これは旅客車ではなく保線機械ですが、珍しかったので撮影しました。元々が普通のトラックで、タイヤを外していましたが、後輪はホイールが車輪になっています。かの山鹿温泉鉄道のレールバスを思い出します。後輪は差動のままなのか?
今どきの軌陸車と違い、軌道で使用する際は一旦タイヤを外してモードチェンジしなければなりませんので、簡単に軌陸両用とはなりません。