福井鉄道は旧型車の砦となっていましたが、実態は鉄道線の車両が軌道区間に乗り入れるいわゆるLRTでした。しかし現在のLRTとは全くと言っていいほど異なり、純然たる鉄道車両の面々で、平成になってからも前近代的な形態が続いていました。要は、LRTに適した新車を購入するには投資が大きすぎることや、適当な中古車もないと言ったところが本音です。しかし、世の中はもうそんな時代ではなくなっており、バリアフリー社会から取り残されてしまいました。
1.モハ141-1+モハ141-2 (西武生:1992年11月)
さて、今回もモハ140形の続きです。
モハ140形のモハ141編成とモハ142編成は、モハ143編成とは異なり、妻窓がHゴム支持の3枚窓で、同じ様なおとなしい顔をしていました。
2.モハ141-1+モハ141-2 (田原町:1992年8月)
モハ141-1とモハ142-1は、共に元長野電鉄モハ300形です。長野電鉄の長野市街地地下化によって、1978年に追い出されてきた車両ですが、福鉄にて片運化されて元名鉄モ900形と固定編成化されました。
3.モハ141-2+モハ141-1 (田原町:1992年8月)
モハ141-2~143-2は元名鉄モ900形ですが、モハ141-2とモハ142-2は妻窓がHゴム支持の3枚窓です。元名鉄モ900形は3両が福井に来ましたが、北陸鉄道にも4両譲渡されてモハ3740形として使用されました。北陸鉄道へ行った4両は、ほぼ原型で使用されましたが、福井に来た3両は片運化されて、前妻は非貫通となり、ワンマン化のため先頭寄りのドア配置も変更されて、原型は留めていません。
4.モハ141-1+モハ141-2 (田原町:1992年8月)
この列車は、モハ141-1+モハ141-2です。この車両の車歴は第79話をご覧下さい。
モハ141形は導入当初から転換クロスシートでした。車内設備はロマンスカーのモハ200形を凌ぐほどですが、なにぶん半鋼製車なので見劣りは否めません。
5.モハ142-1+モハ142-2 (田原町:1992年8月)
この車両はモハ142-1(注1)です。モハ141-1とは瓜二つですが、モハ142-1の方は前面の行き先表示と青帯の位置が若干低いです。
(注1)モハ142-1の車歴
・福井モハ142-1←長野モハ302←長野モハ152:1941年汽車会社製
6.モハ142-2+モハ142-1 (神明:1992年8月)
この車両はモハ142-2(注2)です。モハ141-2とはほとんど区別がつきません。
(注2)モハ142-2の車歴
・福井モハ142-2←名鉄モ901←名鉄ク2337←名鉄モ917←知多デ917:1929年日本車輌製