ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第847話 1994年福井:バリアフリー?なにそれ?(その2)

福井鉄道では、軌道線開業時には、軌道線内専用の路面電車が運行されていましたが、鉄道線からの乗り換えが不便だったため、全ての列車で鉄道線と軌道線を直通化し、以前からLRT化されていました。

 

1.モハ302-1+モハ302-2 (市役所前:1994年5月)

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 福井鉄道も、この様な高床の大型車ではなく、低床の連接車が欲しかったはずですが、当時はその様な中古車もなく、広電や名鉄岐阜市内線の様に新車を製造するほど余裕もなかったのが本音だったと思われます。よって、バリアフリー化までは、まだ遠い道のりでした。

 

2.モハ142-1+モハ142-2 (武生新:1994年5月)

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 さて、武生新まで移動しました。ここで、モハ142-1+モハ142-2を捉えました。モハ140形は2連3編成が在籍していました。300形の導入により、200形が各停運用に格下げされ、その玉突きで雑多な車両が淘汰されましたが、この140形は輸送力があったので、その後も結構主力として活躍していました。

 

3.モハ143-1 (武生新:1994年5月)

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 140形は、いずれも改造車で構成されていましたが、竣工時期によってスタイルが異なり、特にこのモハ143編成は、前面が国電モドキの3連窓でした。北陸地方のローカル私鉄特有の改造車美学とでも言いましょうか、福井鉄道北陸鉄道と同様に車両をいじくる技術はかなりなものでしたが、美的感覚は機能を優先し過ぎたのか相当なものです。

 

4.モハ143-2+モハ143-1 (武生新:1994年5月)

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 こちらは、モハ143-2です。モハ143-1とは種車が異なり、凸凹編成ですが、こちらの前面も3連窓です。前面の雨樋が緩い円弧を描いているので、モハ143-1より多少ソフトな印象を受けましたが・・・・。

 

5.モハ161-1+モハ161-2 (武生新:1994年5月)

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 西武生(現:中府)の車庫へ出向きました。お目当てのモハ160形は留置線にいましたが、急行武生新行きの行き先表示が出ていました。恐らく誰かのいたずらとは思いますが、この車両が急行運用に入ることがあるのか?

 

6.モハ161-2+モハ161-1 (武生新:1994年5月)

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 さて、この電車は元々連接車ではなく、全長10m級両運車のデハ20形でした。そして、軌道線開業に合わせて軌道線専用として投入されたものですが、いつしか2両連接化されて鉄道線と軌道線の直通車になりました。しかし、この当時はすでに予備車的存在で、運用に入ることは滅多にありませんでした。