ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第846話 1994年福井:バリアフリー?なにそれ?

1994年は北陸方面によく出向きましたが、毎度のごとく行ったついでに北陸地方のローカル私鉄を一通り総舐めしていました。しかし、富山から始まるローカル線巡りは、終盤の福井あたりまで来ると疲れてしまい、天気が悪ければどうでも良くなってしまう傾向がありました。今回も、そんな気合の入らない福井の話題です。

 

1.モハ302-1+モハ302-2 (福井駅前:1994年5月)

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 1994年当時の福井鉄道は、静岡から来た300形が主役に就き、雑多な車両も整理されてしまい、しばらくは変化のない状況が続きました。あえて言えば、まだモハ140形が現役だったので、これを追い掛ける程度でした。

 

2.モハ302-1 (福井駅前:1994年5月)

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 この日は西武生(現:中府)の車庫に様子を伺いに行くため、福井駅前から福井鉄道の電車に乗ることにしました。当然ではありますが、乗車するのは300形の急行です。この頃の福井駅前は何とも貧相な電停で、ご覧の通り電車に乗るには手すりもないステップを登らねばなりません。当時はこれが当たり前だった時代でして、LRVなどその存在すら影も形もなく、バリアフリー?何それ?と言った感じです。

 

3.モハ81+クハ81 (公園口~本町通り:1994年5月)

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 路面区間普通列車の80形がやって来ました。この電車は各電停に停車しますが、折畳みステップは各車両端のドア部にしかありません。乗降時間が掛かりそうな電車ですが、当時はこれが当たり前なので文句を言う人もいないのでしょう。

 

4.クハ81+モハ81 (本町通り~公園口:1994年5月)

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 ところで、この80形は、南海電鉄創成期の木造車を鋼体化して竣工した電車でした。車体は新製されたので新しく見えますが臓物は年代物で、名義上は大正時代の車両と言うことになっていました。しかし、臓物の交換を段階的に行い、いつしかカルダン化され、最後は冷房化までされて新しい?電車になっていました。

 

5.モハ203-2+モハ203-1 (本町通り~公園口:1994年5月)

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 急行を引退した元ロマンスカーの200形がやって来ました。この電車を見るといつも思うのですが、急行を引退したとは言え、塗装はそのままでも良かったのではないでしょうか。なんか、この塗装はダサいです。

 

6.モハ302-2+モハ302-1 (本町通り~公園口:1994年5月)

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 ついでに惰性で300形も撮ってしまいました。しかし、本来軌道法では路面区間を走る電車は列車長を30m以下にしなければなりませんが、この電車など36m程あり、当然特認を受けているのでしょうが、こんなデカイ電車が道路を走るわけですから、脇を走る自動車は要注意です。