ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1006話 1995年茨城交通:4連が走った時代(その2)

茨城交通の朝の4連は1往復(那珂湊→阿字ヶ浦→勝田→那珂湊)だけの運行でしたが、その4連は務めを終えた後は、2両を切り離して、引き続きラッシュが終わるまで2連で運用されました。

 

1.キハ202+キハ204 (那珂湊~中根:1995年5月)

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写真は、4連から2連となったキハ20形コンビです。ラッシュ時は2連が2本運用に残り、那珂湊で列車交換となります。この時運用に出ていなかったのは、キハ111~113,キハ222,223、キハ2005の6両でしたが、最大運用で使用されるのは6両なので保有車両が余剰ぎみと思われます。しかし、もうキハ11形はほとんど運用されていようでした。

 

2.キハ202+キハ204 (那珂湊~中根:1995年5月)

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天気は曇っていましたが、沿線には菜の花が満開でした。これも天気が良ければ、良い写真になりますが、曇っていては撮影に気合が入りません。

 

3.キハ202+キハ204 (那珂湊~中根:1995年5月)

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キハ20形はデッキ無しのセミクロスシート車なので、ラッシュ時などは大変使い勝手の良い車両ですが、鹿島臨海から来た4両はなぜかワンマン化されませんでした。

 

4.キハ221+キハ2004 (那珂湊~中根:1995年5月)

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ワンマン化されたのは、道産子グループのキハ221,222、キハ2004,2005の4両でした。ワンマン化された4両は、いずれもデッキの仕切りを撤去し、かなり大掛かりな改造を行いワンマン化されました。恐らくキハ20形は、ドア配置が料金授受に適さなかったのか?

 

5.キハ202+キハ204 (那珂湊~中根:1995年5月)

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しかし、ワンマン化はどうであれ、冷房化はどうなっているのか?。もうすぐ夏を迎えます。この調子では、この年も暑い夏になりそうです。

 

6.キハ202+キハ204 (那珂湊~中根:1995年5月)

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キハ20形は偶然にも、お隣の鹿島臨海から入手出来た車両でしたが、この先、この類の車両はもう入手は困難と思われました。そろそろ新しい車両が必要な時期でした。

 

7.キハ221 (那珂湊~中根:1995年5月)

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ラッシュも終わったようで、キハ221は単行となりました。ここからがワンマンカーの本領発揮です。