1993年当時の茨城県下の非電化私鉄を見ると、鹿島鉄道が4両のNDCをすでに導入しており、関東鉄道常総線もこの年にキハ2100形を導入します。ところが、茨城交通は中古車のキハ20形が登場し、異端車を排除しましたが、ようやくワンマン運転が始まったばかりで、新車もなく、かなり出遅れていました。そして新車の登場は1995年までもう少しお預けです。
1.ケハ601(廃車) (那珂湊:1993年3月)
改めまして、ケハ601です。とうとう廃車になりましたが、かなり個性的な車両です。この車両が登場した頃は、まだステンレス車はほとんどなかった時代で、時期尚早の試作車でしたが、それをローカル私鉄向けにチャレンジした新潟鐵工の行動力に高度経済成長期の意欲旺盛さを感じます。
2.ケハ601(廃車) (那珂湊:1993年3月)
こうして見ると、とても廃車とは思えないほどピカピカしています。しかし、実態はセミステンレスカーなので、鋼材の腐食が起因してスポット溶接が剥離したり、外板が歪んだり、やはり経年的な痛みが要所に出ていました。しかし、捨てるにはもったいないので、この状態がしばらく続きました。
3.キハ222 (那珂湊~中根:1993年3月)
さて、本線撮影です。実はこの日は朝から走行列車の撮影をしていました。朝4時に家を出発し、常磐線の始発で勝田に着いたのは7時過ぎでした。なぜそんなに早起きして来たのかは、後ほど説明します。
4.キハ204 (那珂湊~中根:1993年3月)
キハ204がやって来ましたが、この車両は前年に鹿島臨海鉄道から移籍した車両で、今回初めて撮影する車両でした。種車は元国鉄のキハ20形ですが、オデコの前照灯がないのでやはり変です。
5.キハ204 (那珂湊~中根:1993年3月)
1990年代になると、JR各社からキハ20形が放出されました。これは赤字ローカル線の廃止や第三セクター化によって、多くの気動車が余剰となり、古い車両から淘汰された結果、キハ20形が槍玉に上がったからです。
6.キハ204 (中根~那珂湊:1993年3月)
そのタイミングを狙っていたのが、非電化の地方鉄道でした。新車を購入するお金がない地方鉄道にとって、これは願ってもない棚から牡丹餅でした。これを機に、車両を総取替えするところもありました。例えば、島原鉄道や水島臨海鉄道。
7.キハ222+キハ221 (中根~那珂湊:1993年3月)
ところが、茨城交通はこのチャンスを見送ってしまったように思えましたが、お隣の鹿島臨海鉄道から元国鉄のキハ20形を購入しました。