ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1201話 番外編:1977年の印象(その2)

茨城交通湊線をサラッと見たあとは、東京へ戻りながら寄り道です。しかし、この頃の常磐線はまだローカル本線だったので、列車本数が少なく、時間もかかりました。時間的にすべてのローカル私鉄を見るのは厳しかったので、とりあえず関東鉄道鉾田線と筑波線を優先しました。

 

1.キハ432+キハ431 (石岡:1977年8月)

ここは石岡です。まだ鹿島鉄道ではなく、関東鉄道鉾田線でした。乗車する時間がなかったので、とりあえず機関区だけ訪問しました。思えば、さんざん通った石岡機関区ですが、これが最初の訪問でした。最初に出迎えてくれたのは、まだ前面窓が大きくニコニコ顔の頃のキハ430形コンビでした。

 

2.DD901 (石岡:1977年8月)

鉾田線の訪問目的はコイツでした。とりあえず、「カバさん」の実物を拝むことができました。ロッド駆動の茶色いボディーは迫力がありました。この機関車の牽引する貨物列車を見てみたいと思いましたが、それが実現したのは9年後の撮影(第196話)の時でした。

 

3.キハ412+キハ411 (石岡:1977年8月)

そして、元キハ41000形のキハ411+キハ412が現役でした。2両固定化され、前面も2枚窓に改造されており、貴重なキハ41000形がだいなしです。もう1年早ければ、オリジナルのキハ41000形や流線形気動車のキハ42200形などもいたはずですが、時すでに遅しです。

 

4.キハ462 (真鍋:1977年8月)

そして、どうしてもオリジナルのキハ41000形が見たくて、続いて訪れたのは関東鉄道筑波線の真鍋機関区でした。ここは起点の土浦の次の駅が最寄りでしたが、列車の本数が少なく、土浦から真鍋まで炎天下を歩きました。幸い、キハ41000形オリジナルのキハ462(注1)がいました。この車両は筑波鉄道に引き継がれますが、同僚のキハ461よりも一足早く1981年に廃車解体となりました。ちなみにキハ461は1985年に廃車されましたが、その後も保管され、現在は鉄道博物館で保存されている幸せな車両です。ところで、キハ462を見た途端にドッと疲れが出てしまい、引き上げることに・・・。

(注1)キハ462の車歴

・筑波キハ462←関東キハ462←北陸キハ5212←遠州キハ801←国鉄キハ046←国鉄キハ441034:1933年新潟鐵工所

 

5.485系ひたち (上野:1977年8月)

・・・で、上野へ戻ってしまいました。

ここは上野駅です。土浦から特急電車に乗って戻ってきたのではありません。鈍行列車で戻ってきたら、隣のホームに偶然止まっていた「ひたち」です。ここからは、なぜかミーハーな特急電車撮影です。

 

6.181系とき (上野:1977年8月)

まだ東北・上越新幹線もなかった頃です。「とき」は当然181系です。181系は元祖「こだま」型です。しかし、ずいぶんくたびれていました。もうすぐ廃車になるのかと思いましたが、結局、上越新幹線が開業する1982年まで現役で、さらにその後も一部のクハが交直流車用に改造されて九州へ飛びました。ついでに、サロ181形も東海道線の近郊電車グリーン車に転用されました。

 

7.485系ひばり (上野:1977年8月)

この頃、私が住んでいた広島には、こういう特急電車と言うものがありませんでした。山陽新幹線が開業する前には、飽きるくらい特急が走っていましたが、この日は急に懐かしくなってカメラを向けたような気がします。