ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1202話 番外編:1977年の印象(その3)

この頃の上野駅はいろんな特急や急行列車が目まぐるしく発着しており、一日いても飽きません。しかし、国鉄車両に興味がない私は、とっとと上野駅を出て、珍しく大手私鉄巡りです。

ここからは、カラー写真も混在しますが、暗い場所で撮影した画像は、なぜか変色が少なかったので、モノクロ化せずにアップしました。

 

1.スカイライナーAE車 (京成上野:1977年8月)

最初は国鉄上野駅に近い京成上野駅です。ここは、成田空港開業に合わせてリニューアルされた綺麗な地下駅ですが、国鉄上野駅から京成上野駅を結ぶ当時の地下道は、息を止めて鼻をつまんで歩かなければならないほど「ション便臭い地下道」でした。しかも、浮浪者がチラホラ。そこだけは、まだ戦後を引きずっていました。スカイライナーに乗って来た当時の外国の方々は、この「ション便臭い地下道」を歩いて、日本という国をどう思われたのか?。ところで、写真は旧塗装の初代スカイライナーです。成田紛争の槍玉にもされた悲劇のAE車でしたが、私はこのシックな塗装のスカイライナーを気に入ってます。

 

2.3200系 (京成上野:1977年8月)

この頃の京成電車は、まだファイヤーオレンジになる前の、懐かしい紅白のツートンカラーでした。私にとって京成電車のイメージは、「競馬新聞・カップ酒・酔っ払い」という、あまり良いイメージがありませんでしたが、最近は沿線住民を相手にしないほどのグローバル志向になってしまったようです。余談ですが、先日京成電車の日暮里駅を久々に利用しましたが、お年寄りに電車の乗り場を尋ねられました。どこを見ても英語・中国語・韓国語の案内ばかりで驚きました。もう少し日本人に優しい駅にしてみてはいかがでしょうか。

 

3.1720系DRC「きぬ」 (東武浅草:1977年8月)

京成上野駅のあとは東武浅草駅です。この写真は、車掌さんの許可を得て撮影したものですが、現在はこんな撮影はまず無理でしょう。この駅は京成上野駅とは対照的に、現在もレトロな雰囲気は変わっていません。ここを訪れた目的は、何だったのか覚えていませんが、今回アップしなかった画像をみると、DRCの車内やサロンコーナーなどを撮影していました。サロンコーナーには懐かしいジュークBOXがありました。世界的観光地日光へ行く、東武鉄道が誇る特急電車ですが、ジュークBOXの意味がいまだに理解できません。

 

4.1800系「りょうもう」 (東武浅草:1977年8月)

この写真はトンネルの中ではありません。東武浅草駅の1番線に停車する急行「りょうもう」です。曲線ホームなので、列車とホームの隙間が強烈ですが、今も変わっていません。しかしながら、この駅も海外からの旅行者が多く利用する駅でしたが、この暗い雰囲気、そしてガード下にたむろする浮浪者や、墨田川を渡って千住に至る沿線風景は、日光を引き立てる演出だったのか?

 

5.3000系 (京王渋谷:1977年8月)

首都圏の大手私鉄巡りは2日間にわたりました。そして、ここは京王井の頭線の渋谷駅です。まだ駅ビル化前の露天駅でした。モノクロなのでステンプラカーの色がわかりませんが、これはピンク色です。このあとは、東急・京急小田急・西武・・・・と早回りしました。しかし、画像はひどく変色しており、モノクロでも難ありのため、割愛させていただきます。

 

6.7518 (都電王子駅前:1977年8月)

最後は都電荒川線王子駅です。左に見えるレンガ造りの建物は昔の「紙の博物館」です。都電はすでに荒川線しか存在していませんでしたが、電車は原型の7500形が走っていました。ちなみに、現在はこの真上を新幹線が走っており面影は全くありません。

さて、お粗末な画像でしたが、これが半世紀近い昔の、中学生の視線で見た関東近辺の鉄道です。ネガの劣化がひどくご紹介できなかった画像が多くあり残念です。当時に比べると、現在は電車も街も綺麗で快適になりましたが、あの頃の「何でもあり」が懐かしくもあり、良き時代でした。