ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1204話 1995年阪急(嵐山):嵐山という姨捨山(その2)

阪急嵐山線は、もともと全線複線の路線でしたが、戦時中にお国のため資材供出で単線化されました。戦後は複線に復旧されることもなく現在に至ります。この路線は行楽シーズンは梅田からの直通列車も走りますが、普段はとてもローカルな路線で、いつしか阪急電車姨捨山になっていました。

 

1.2815+2865+2805+2855 (松尾:1995年8月)

そして、嵐山線はもともと阪急電車の異端車が流れ着く路線だった様な気がします。例えば、阪急唯一の流線形だった200系や、広電に転じた電動貨車の臓物を流用した210系などが細々と活躍していました。

 

2.2815+2865+2805+2855 (松尾:1995年8月)

さて、京都線特急時代の2800系は8連でした。それが一般車に格下げされ、嵐山線に幽閉される頃にはMT2連となりました。さすがに嵐山線も2連運用はなく、MT+MTの4連で運行されていましたが、3扉化されたせいか、かつての優雅さはありませんでした。

 

3.2815+2865+2805+2855 (松尾:1995年8月)

晩年の嵐山線2800系は以下の通りです。

 桂←Mc+Tc+Mc+Tc→嵐山

 2811+2866+2801+2851

 2815+2865+2805+2855

 

4.2815+2865+2805+2855 (松尾:1995年8月)

ところで、もともと2800系は、Mc+Tc+Mc+M+Tcの5連で竣工し、その後中間車を段階的に増備して最終的に8連化されましたが、この時点では中間車がすべて外されていました。増備された中間車は1970年代製造の車両もあり比較的新しいく、T車である2880形が3扉化されて2300系や5000系などに編入されていました。

 

5.2815+2865+2805+2855 (上桂~松尾:1995年8月)

2300系に編入された2885は2001年まで京都線で使用されましたが、2305編成に1両だけ2連窓の車両が混在していおり、この車両を見かけたら、何か良いことがありそうな気もしましたが・・・しかし、そんなことを気にして乗っている人は、恐らく誰もいませんでした。

 

6.2303+2353+2304+2354 (松尾:1995年8月)

嵐山線には2300系も走っていました。2800系の入線前はこの2300系が運用されていましたが、この時点で2300系はこの1編成だけの様でした。2300系は2800系と全く同じ顔でした。もっとも、2800系は2300系をベースに製造された車両なので、車体寸法や性能も同じです。