ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第736話 1993年茨城交通:潜在的車種統一(その3)

この日、茨城交通へ出向いた目的は、朝の4連撮影でした。

朝の4連は1985年にも撮影していましたが、朝のラッシュ時に1往復しか走らず、運行時間帯も早いので撮影が難しい列車でした。その時は車での撮影だったので、早朝から撮影ができましたが、東京から電車で向かうと常磐線の始発に乗っても、勝田から4連に乗車することはできましたが、乗車すると撮影ができません。ところが、勝田から禁断の路線バスを使えば、4連よりも若干速く先回り出来て、中根付近で撮影できることがわかりました。

 

1.キハ111+キハ20形3連 (中根~金上 1993年3月)

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 よって、この日は朝の4連撮影にチャレンジしました。勝田からのバスは、茨城交通の路線バスで、那珂湊まで県道38号線を湊線にほぼ並行して走ります。このバスで三反田小学校前で下車し、ダッシュして湊線の中根駅付近でギリギリ4連に間に合いました。

 

2.キハ111+キハ20形3連 (中根~金上 1993年3月)

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 この日の4連は、先頭がキハ111で、その他はキハ20形でした。もっと凸凹編成を期待したのですが、天気も良く、なによりこの列車の撮影に間に合ったので、まあこんな程度で十分です。

 

3.キハ20形3連+キハ111 (金上~中根 1993年3月)

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湊線の4連と言えば、夏の海水浴客輸送を思い出します。あるだけの車両をフル動員していましたが、それでも運用に参加できない車両がいました。総括制御ができないケハ601がそれでしたが、湊線のように単行から4連まで柔軟な運用には、やはり総括制御ができ、貫通編成が組める車両が望まれます。キハ20形の増備によりケハ601やキハ1103は淘汰されましたが、ようやくどの車両でも共通運用できるようになりました。

 

4.キハ20形3連+キハ111 (金上~中根 1993年3月)

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 湊線は、列車運用の割に車両数が多かったですが、ラッシュ時にはこの4連や、他の列車も2連だったためです。4連は通学列車でしたが、この頃はまだまだ輸送需要がありました。

 

5.キハ222+キハ221 (那珂湊~中根 1993年3月)

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 4連の後は2連が続きました。この写真は羽幌炭鉱からやって来た元国鉄キハ22形モドキのコンビです。 この車両は酷寒地仕様のデッキ付きです。ラッシュ向きの車両ではありませんが、都心ほどの混雑はありませんし、ちゃんと貫通タイプで総括制御も出来るので、特に問題はありません。しかし、翌年にはキハ222とキハ223がワンマン化されて中妻が撤去され、デッキがオープンになりました。

 

6.キハ222+キハ221 (那珂湊~中根 1993年3月)

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 ワンマン化の場合、運転席のすぐ近くに料金箱を設置するので、ドアもその近くにある方が都合が良いです。ワンマン化に際して、ドア位置を変更する改造を行うケースも結構ありましたが、その点、このキハ22形はデッキをオープンにすれば、キハ20形よりもワンマン化に適していました。

 

7.キハ222+キハ221 (那珂湊~中根 1993年3月)

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今回は、久々に湊線のラッシュを見ることができました。この頃はまだ輸送需要もあった様で、ラッシュにも活気がありましたが、徐々に輸送量は減少し、やがて4連は3連となります。