ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1199話 1996年近江:どうした西武の大型車?(その5)

近江鉄道は、八日市を中心に3方向の路線を有しますが、もともと米原~貴生川が本線であり、開業の目的は北陸方面から「お伊勢参り」の短絡ルートだったそうで、この沿線の地域輸送が目的ではなかったようです。よって、沿線は人口希薄な場所が多く、目立った街は八日市彦根くらいです。一方、八日市近江八幡間は別会社で開業しましたが、こちらは東海道線から離れた八日市東海道線に結ぶ目的で開業した路線で、一時期は陸軍の飛行場があった御園まで延伸されて軍需輸送にも使用された路線です。両線は戦時中の統制で合併し現在に至りますが、開業はいずれも明治時代に遡り、その歴史を裏付ける証拠が、電車の支離滅裂な車歴です。

 

1.モハ224 (八日市五箇荘:1996年11月)

この頃の最新の車両は、この小さなモハ220形でした。最新と言っても吊掛車でした。近江鉄道は輸送需要の低迷から八日市~貴生川間に富士重工製の2軸レールバスを導入しましたが、小さすぎて使いこなせず、結局は電車に戻してしまいましたが、その際に自社製造したのが小型の両運車であるモハ220形でした。

 

2.モハ224 (八日市五箇荘:1996年11月)

この電車は西武電車を切り継いでと言うか、切り詰めて製造されたもので、かなり手の込んだ造作です。6両製造されましたが、これも全て過去の車両の名義を引き継いでいますが、この小さな車両によくぞ冷房装置を搭載したと感心しましたが、これは補助電源装置を必要としない直流駆動の冷房だったそうです。

 

3.モハ224 (八日市五箇荘:1996年11月)

<モハ220形の略歴>

・モハ221:1991年自社製:西武モハ742車体部材流用:旧モハ205Ⅱ名義

・モハ222:1992年自社製:西武クハ1742車体部材流用:旧モハ203名義

・モハ223:1993年自社製:西武クハ1741車体部材流用:旧モハ101名義

・モハ224:1994年自社製:西武クハ1740車体部材流用:旧モハ102名義

・モハ225:1995年自社製:西武クハ1739車体部材流用:旧モハ132名義

・モハ226:1996年自社製:西武モハ741車体部材流用:旧モハ103名義

 

4.モハ225 (日野:1996年11月)

ところで、この撮影時点ですでにモハ220形はモハ226まで増備が完了していましたが、モハ226が名義を引き継いだはずのモハ103は、まだ彦根の構内にいました。しかも、同じ番号のモハ103が2両も・・・・・。この件は第1096話でもお伝えしましたが、いったい何がどうなっているのやら?

 

5.モハ3+クハ1220 (八日市五箇荘:1996年11月)

モハ220形でも十分な様に思えましたが、西武401系の様な20m級の大型車を導入したのは、他に手ごろな車両がなかったのか、それとも親会社の恩恵なのか?しかし、大型車の導入は簡単ではなく、線路や施設改修を伴い、かなり出費があったと思われます。そこまでして大型車が欲しかったのか?

 

6.モハ4+クハ1219 (八日市:1996年11月)

ともあれ、大型車の導入が遅れたお陰で、湘南電車の1系はしばらく安泰でした。よって、その後も近江鉄道参りはしばらく続きました。