ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第884話 1993年広島:広電の京都市電(その2)

1993年当時、広電の京都市電は15両全車が健在でした。

この頃、広電以外で活躍していた元京都市電は、阪堺電軌道モ251形3両(元京都市電1800形)、伊予鉄モハ2000形5両(元京都市電2000形)だけでした。

 

1.1909 (原爆ドーム前本川町:1993年8月)

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 阪堺のモ251形は、すでに廃車が始まっており、もう先が見えていましたが、伊予鉄と広電の元京都市電はまだまだ大活躍です。

 

2.1915 (紙屋町:1993年10月)

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 ここは紙屋町交差点です。路面が舗装ではなく、いかにも工事中の様相ですが、この頃この直下で新交通システムアストラムライン)の地下工事が進められており、広電も仮設軌道上を走っていました。京都市電は、地下鉄に使命を託して廃止されましたが、とりあえず広島では大丈夫でした。

 

3.1903 (宇品:1993年11月)

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 さて、1900形の形式写真ですが、落ち着いて撮影できるのは、宇品と江波でした。この日は、他の形式も撮影するため宇品に出向きました。写真の1903は集中型クーラーを2台搭載した2番目の冷房改造グループです。このタイプのクーラーを搭載したのは、1902~1904の僅かに3両でした。

 

4.1911 (宇品:1993年11月)

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 1911は標準となった集中型クーラー1台搭載車です。このタイプのクーラー搭載車は1900形では10両あり、他の形式車も連接車以外は、ほとんどがこのタイプのクーラーを搭載しました。

 

5.1910 (海岸通~向宇品口:1993年12月)

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 バックに木造建築があると、なんとなく京都の街を走っている様です。

 

6.1910 (向宇品口~海岸通:1993年12月)

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 1900形は全ての路線で活躍していました。しかし、ラッシュ時など、単行では運びきれないほど乗客が増加しており、特に5系統は沿線に学校が多いため、通学時間帯は市内線用に3連接車が登場する状況になっていました。