ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第687話 1993-94年広島:広電の大阪市電

今回は、高度経済成長期の広電を支えた、元大阪市電からの譲渡車の話題です。

原爆で壊滅的な被害を受けた広島でしたが、昭和40年代になると街の復興は終わり、高度経済成長期の波に乗り、市内交通も大量輸送が要求されました。その頃の広電は、まだ戦前の小型2軸車が多く存在し、輸送力のネックになっており、大型ボギー車の増備が急務でしたが、その頃廃止となった大阪市電から大量の大型車を譲渡する事になり、これは願ってもない、「棚から牡丹餅」的なうまい話だったのではないかと思います。

 

1.760 (八丁堀:1993年8月)

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 この大阪市電の譲渡は、大阪市電の廃止に合わせて、1965年~1968年にかけて段階に実施され、元大阪市電1601,1651,1801形が22両も移籍し広電750形となりました。750形の登場でそれまでの主力だった小型2軸車が一挙に淘汰されてしまいましたが、何より、750形は13m級の大型ボギー車だったので、結構古い車両ですが輸送力アップにはこの上ない存在となり、市内線に3連接車が充当されるまではおおいに頼られていました。

 

2.763 (紙屋町:1993年10月)

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 しかし、老朽化により1980年代から廃車が出始め、1990年代になると3連接車の市内線導入などで冷房化された一部を除いて予備車的存在となり、運用される頻度は極端に減ってしまいました。

 

3.769 (八丁堀~立町:1993年11月)

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 1993年時点健在だった750形は、以下の7両でした。

・非冷房車:760,761,762,763,(休車:767,771)

・冷房車:768,769,772

このうち、761,762,763は、元大阪市電1651形で、他は元大阪市電1801形です。元1651形は1940年製、元1801形は1950年製なので、年齢が10歳ほど違い、冷房化されたのは若い元1801形の3両だけでした。よって、冷房車はよく見かけましたが、769以外は車体広告車でした。

 

4.760 (向宇品口:1993年11月)

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 非冷房車は、夏はラッシュ時以外ほとんど走らず、涼しくなる秋から春にかけて活動が活発になりました。しかし、それでもなかなか撮影のチャンスがありませんでした。

 

5.762 (宇品:1993年12月)

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 非冷房車は、嬉しいことに全車大阪時代のオリジナル塗装でした。前面の行き先表示も大型化されておらず、大阪時代のオヘソライトではありませんが、比較的広電移籍当初の面影を留めていました。これは生い先が短いということなのか?しかしその後、非冷房車は760と休車だった767,771が廃車されましたが、残る3両は冷房化されて前面の行き先表示も大型化されます。 

 

6.762 (宇品:1993年12月)

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 この当時、非冷房車で比較的運用の確率が高かったのが762でした。撮影した写真を分析すると750形では762が一番多く写っていました。

この当時、現存する戦前製元大阪市電は阪堺電軌にも元大阪市電1601形のモ121形がいましたが、そちらは全車が強烈な車体広告車だったので、私のとって広電の750形非冷房車は貴重な存在でした。

 

7.762 (皆実町六丁目御幸橋:1993年12月)

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 この時は、まさか762が冷房化されるとは思ってもいませんでした。この車両は元大阪市電1651形で1940年製の戦時設計の車両なので長持ちするとは考えられませんでした。

 

8.762 (皆実町六丁目御幸橋:1994年2月)

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 よって、762を見掛けるたびに、これが最後の撮影になるかも知れないと思い撮っていたので、762の写真が多くなりました。