ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第686話 1992年加越能:地味な路面電車(その2)

正直なところ、私にとっての加越能鉄道高岡軌道線ではなく、廃止された非電化の加越線でした。あの関東鉄道常総線鹿島鉄道で余生を送っていた加越線の車両こそが、加越能鉄道であり、高岡軌道線の電車は富山地鉄市内線のモドキでしかありませんでした。

 

1.デ5022 (米島口:1992年8月)

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 ところで、どこの鉄道にもお宝はありましたが、高岡軌道線にも、営業車ではありませんが除雪車として残ったデ5022がいました。ちなみにこの車両には車籍もありましたが、この年に除籍されて機械扱いとなったものの、その後も除雪車として、新生の万葉線にも引き継がれて生き延びました。

 

2.デ7051、デ7062、デ5022 (米島口:1992年8月)

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 デ5022(注1)は元富山地鉄デ5010形の生き残りですが、途中から加越能鉄道に転籍してきた車両です。

高岡軌道線は当初富山地鉄の路線でした。開業時は他社の中古車で運用されていたそうですが、やがて1950年~1951年にデ5010形(デ5026~5036)が11両新製配属されました。その後、高岡軌道線富山地鉄から分離されて加越能鉄道の路線となりますが、加越能鉄道富山地鉄の弟分であったことから、その後も富山地鉄加越能鉄道との間で車両のやり取りがあり、デ5022は、射水線の分断時に加越能鉄道へ移籍した車両です。

 (注1)デ5022の車歴

・加越能デ5022←富山地鉄デ5022:1950年日立製作所

 

3.デ5022 (米島口:1992年8月)

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デ5010形は、高岡~富山間のインタアーバンを担う車両でした。1992年当時、デ5022が唯一富山地鉄時代の名残りでしたが、同型車が34両も製造されたのに、気が付けば本家の富山地鉄には、この車両は1両もいなくなっていました。もっとも、このタイプの車両を走らす路線がなくなってしまったので仕方ありません。

 

4.デ5026廃車体 (米島口:1992年8月)

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高岡軌道線には、一時期デ5010形が14両も在籍していたそうです。デ7060形が増備された段階で、8両のデ5010形が富山地鉄に返還されて、その後は6両となりましたが、1971年の伏木線廃止を機に、余剰となるデ5010形はデ5022を残して廃車されました。 この時廃車となったデ5010形のうち、デ5026の車体がダルマとなりました。

 

5.デ5026廃車体 (米島口:1992年8月)

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デ5026は、竣工時から高岡軌道線に配属されて、高岡軌道線で一生を全うしました。廃車後も高岡軌道線でご奉仕となりましたが、米島口の車庫の外れに倉庫として残り、1992年当時、バラックが併設されて何とも無残な姿でした。

 

6.デ5010形の生き残り、野上電鉄デ13 (重根:1993年8月)

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 さて、加越能鉄道高岡軌道線の話題から逸脱しますが、最後の写真は元富山地鉄デ5010形の生き残りだった野上電鉄のデ13です。

この車両は、富山地鉄笹津線廃止時に射水線で使用されていたものを廃車とし、野上電鉄に譲渡されたものです。このあたりの経緯や、富山地鉄デ5000形、5010形については、RM LIBRARY 107に服部重敬さんが詳しく執筆されており、大変参考とさせていただきました。

野上電鉄のデ10形は、デ5010形のステップを切り取っただけですが、全く別の電車の様です。現役で最後まで残ったデ5010形は野上電鉄の3両で、野上電鉄が廃止となる1994年3月末まで健在でした。しかし、車籍はないものの結局最後まで残ったのは高岡軌道線のデ5022でした。