ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1080話 1993年名鉄(広見):イモムシを見に行く(その2)

第1079話では、「イモムシ」こと3400系を見るため、わざわざ広見線御嵩まで出向きましたが、その甲斐もなく空振りでした。そこで、後日再び広見線を目指しました。この日は事前に「イモムシ」の運用を確認していたので空振りは避けられました。

 

1.モ6249+ク6049 (西可児~可児川:1993年8月)

しかし、「イモムシ」は1本しかなく、なかなか撮影効率がよろしくありませんでした。まずは無難に西可児付近で撮影ですが、最初に来たのは6500系かと思ったら、2連なので6000系10次車でした。まあ手慣らし撮影です。ところで、私は揖斐・谷汲線以外の名鉄電車のことは全く無知でした。正直、6000系以降の車両はわけが分かりませんので、いまさらながら、いろいろと調べてみました。この6000系10次車などは、どうでも良い話ですが、チョッパ車の6500系が導入された以降も、6500系と同じ車体で製造され続けた抵抗車です。やはりチョッパ車はお金が掛かるからなのか?不思議です。

 

2.3300系3連 (西可児~可児川:1993年8月)

続いて、これも手慣らし撮影ですが、・・・この電車、私はてっきり6000系と思っていましたが、3連の6000系など存在せず、2代目3300系という、これも中途半端な吊掛車であることがわかりました。まさかこれが吊掛車とは!!。調べてみると、この電車は名鉄のAL車のうち車歴の若いOR車と呼ばれた3900系の臓物を流用して車体更新されたものとのことでした。3300系は1987年に3連が4編成だけ導入されました。その頃製造の6000系はすでに6500系と同じ顔になっていましたが、この3300系はまさかの6000系初期の顔に先祖帰りです。これは先行して製造された瀬戸線用の同じくOR車の臓物流用であった6650系に準じたものと思われます。

 

3.ク2760+モ3760 (西可児~可児川:1993年8月)

そして、こんどは生い先短いHL車ですが、この車両はいつ見ても疲れ切った老人の風貌です。せっかくの吊掛車ですが、この電車が来てもあまり嬉しくありません。これも手慣らし撮影です。でも翌年には、いなくなってしまいました。

 

4.6500系4連 (西可児~可児川:1993年8月)

いい加減しびれが切れそうですが、6000系かと思ったら今度は秘蔵っ子のチョッパ車でした。しかしながら、広見線は2連から4連まで、吊掛車もカルダン車も色んな電車が走っていました。

 

5.ク2401+モ3401+モ812 (西可児~可児川:1993年8月)

真夏の炎天下、もう暑くてうんざりする頃に、ようやく「イモムシ」が現れました。しかもモ800形のおまけ付きです。なかなかの演出?です。

 

6.ク2401+モ3401+モ812 (西可児~可児川:1993年8月)

3400系は、もともと4連でしたが最後まで残ったのは、中間車を外したこの2連でした。これも引退前の最後のご奉仕用に残されたもので、緑色の塗装もそのために塗り替えられたものでした。なんとなく、ヤラセっぽい感じがします。どちらかと言えば、おまけのモ800形の方が気になります。

 

7.ク2401+モ3401+モ812 (西可児~可児川:1993年8月)

折返しの3400系を撮影する場所を探していたら、こんな渓谷がありました。ここも西可児~可児川間です。なぜか3400系よりもモ800形が主役のような、中途半端な写真になってしまいましたが、これは連写のタイミングを失敗したものです。