ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1079話 1993年名鉄(広見):イモムシを見に行く

この頃、吊掛車を追い掛けて、名鉄揖斐・谷汲線へよく行きました。揖斐・谷汲線は大名鉄の路線ですが、恐らく投資が追い付かなかったのでしょうか、浮世離れした大正時代の車両が集う名鉄の老人ホームでした。しかし、古物好きの私にとっては、この上ない存在であり、これがために、本家の名鉄本線には全く興味を示しませんでした。ところが、本家の方はもう古い電車など走っていないと思っていたら、そうではありませんでした。よって、揖斐線のついでに広見線をのぞきに行きました。

 

1.モ3760+ク2760 (御嵩口:1993年8月)

名鉄は大規模な大手私鉄ですが、実は巨大なローカル線でした。その末端には、中途半端な吊掛車がまだまだ走っていました。この3730系(注1)も、その中途半端な吊掛車の仲間でした。大手私鉄であるがゆえに、世間体を重視したいわゆるアコモ車です。しかし、この老けた表情は、もうちょっと何とかならなかったのかと思いますが、きっと予算がなかったのでしょう。

 

2.ク2760+モ3760 (顔戸御嵩口:1993年8月)

3730系は昭和初期の半鋼製車のアコモ車でした。1965年~1966年に新製車体に手動加速の主制御機器、台車などを再生したいわゆるHL車です。加速が悪く本線に出れないどうしょうもない電車でしたが、MT2連で32編成も登場して支線にばら撒かれました。さすがに1990年代になると廃車が進み1996年には消滅しました。なお、モ3755+ク2755は、1981年に豊橋鉄道に譲渡され、豊橋鉄道モ1751+ク2751となり、1997年に廃車されました。

(注1)3730系の車歴(1993年時点在籍車)

名鉄モ3734+ク2734,35+35,39+39,40+40:1964年日本車輌

名鉄モ3742+ク2742,47+47,48+48,50+50,51+51,57+57,59+59,60+60,63+63:1965年日本車輌

名鉄モ3759+ク2759,60+60←モ3769+ク2769,65+65:1965年日本車輌

名鉄モ3758+ク2758:1966年日本車輌

名鉄モ3762+ク2762←モ3767+ク2767:1966年日本車輌

 

3.ク7200形+モ7300形 (御嵩御嵩口:1993年8月)

そして、この細目の電車は、一見、貫通タイプのパノラマカー7700系と錯覚しそうですが、7700系よりも先に登場したニセパノラマカーの吊掛車でした。HL車に続き、こんどは1971年に登場した、戦後製自動加速車のアコモ車である7300系です。この電車は一応、内装はパノラマカーと同じで冷房車です。自動加速のAL車なのでパノラマカーのふりをして平然と本線を走っていましたが、走行音は騙せません。

 

4.モ7300形+ク7200形 (御嵩:1993年8月)

ここは広見線の終点である御嵩です。広見線は犬山~御嵩間の路線ですが、途中の新可児スイッチバックがあり、新可児御嵩間はほとんどの列車が折返し運転です。この日は渋い表情をしたニセパノラマカーの7300系2連が折返し運用に入っていました。

 

5.キハ11 (明智:1993年8月)

そして、こんなところにレールバスがいました。このレールバス広見線明智から分岐していた八百津線の車両です。このころ輸送需要が激減していた八百津線は電化設備を放棄して1984年からレールバスが走っていました。八百津線は、まさしく大名鉄が大ローカル線であることを証明するド・ローカル線でした。しかし、名鉄のお荷物だった八百津線も重過ぎたようで、2001年に谷汲線などの廃止と共にどさくさに紛れて廃止されました。結果的にレールバス化は廃止までのワンクッションだったようです。ところで、このレールバス富士重工製Le-Carの2軸レールバスでした。やはり小さ過ぎるのと、耐用年数の問題で1995年には早々廃車となり、2両が「くりはら田園鉄道」に転売されました。

 

6.5500系4連 (布袋:1993年8月)

さて、いきなり犬山線布袋に停車中の5500系回送列車です。実は広見線に出向いたのは、中途半端な吊掛車の3730系や7300系を撮るためではありませんでした。この頃、3400系通称イモムシが、さよならイベントの一環で往年の青虫色に塗られて広見線で最後のご奉仕をしていると聞いたため、一度は見ておこうと広見線に出向いたわけです。しかし、この日はみごとに空振りを食らい、とっとと引き上げる途中の5500系です。