ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

号外2024.06.06:浜安善を歩く(その2)

浜安善支線探訪の続きです。今回は安善橋を渡って安善二丁目に踏み込みますが、ここから先は、私にとって未踏地帯でした。

 

1.浜安善支線の撮影ポイント

上図は、安善橋から先の撮影ポイントを示したもので、〇番号は以下の写真番号を示します。今回は⑬~㉓までをお伝えします。

 

⑬ 浜安善支線の安善橋(安善二丁目:2024年4月)

写真⑬は安善橋を浜安善寄りから撮影したものです。かつてクモハ12形撮影では、この安善橋に大変お世話になりました。しかし、この橋を渡る列車を見たことがありません。

 

⑭ 浜安善ヤード北端部(安善二丁目:2024年4月)

安善橋を渡ると、かつての浜安善のヤードです。写真⑭は浜安善ヤード北端の分岐部から、安善橋の方向を撮影したものです。

 

⑮ 浜安善ヤードの踏切(安善二丁目:2024年4月)

写真⑮は少し浜安善側に進んだところの踏切です。この踏切はまだ新しい様ですが、踏切の右に写る会社も最近できたのか?そう言えば、1990年代のこの辺りは、一面石油会社の備蓄タンクだらけだったはずです。現在は石油会社が移転して新しい企業が進出してきた様です。ちなみに、かつてこの場所にはエッソ石油があり、このヤードから引込線が延びていたそうです。

 

⑯ 浜安善ヤード(安善二丁目:2024年4月)

写真⑯は、写真⑮の撮影場所で振り向いて浜安善方向を撮影したものです。これが現在の浜安善のヤードです。かつては、もっと多くの線路が敷かれていたのでしょうが、現在はこれだけです。2本ある線路の左側は、このヤードの機回し線の様です。写真の右側には米海軍油槽所の石油タンクが見えますが、その手前は、かつてモービル石油があった場所で、このヤードから道路を横断して引込線が存在しました。

 

⑰ 浜安善ヤード(安善二丁目:2024年4月)

写真⑰は浜安善ヤードの南側から安善橋方向を撮影したものです。真ん中の寸断された線路はタンク車の留置線だったのでしょうか?このヤードの右側の空き地は、かつて右側にあったシェル石油の引込線が分岐していた場所の様です。そして、この写真の左側に写る分岐は、米海軍油槽所(エリア2)へ延びる引込線です。

 

⑱ 浜安善支線終端と油槽所引込線を臨む(安善二丁目:2024年4月)

写真⑱は、写真⑰の撮影場所から振り向いて、ヤードの終端方向を撮影したものです。左の線路の先には終端の車止めが見えます。右側の線路は道路を斜めに横切って米海軍油槽所(エリア2)へ延びる引込線です。

 

⑲ 浜安善ヤードの油槽所引込線分岐部(安善二丁目:2024年4月)

写真⑲は油槽所の引込線分岐部を道路から安善橋方向に撮影したものです。道路の左側が米海軍油槽所(エリア2)ですが、フェンスの先に写る建物に注目です。

 

⑳ 安善町バス停の待合所(安善二丁目:2024年4月)

写真⑳は、その建物のアップ撮影ですが、ここは安善町バス停です。ここから鶴見駅まで横浜市交の路線バスが運行されています。米海軍のご厚意なのか、バスの待合所が油槽所の敷地に食い込んでいますが、待合所の後ろの建物は米海軍の施設です。

 

㉑ 安善町バス停の時刻表(安善二丁目:2024年4月)

写真㉓は、気になるバスの時刻表ですが、なんと、こんな僻地(失礼!)なのに、結構な本数のバスが運行されています。休日でもちゃんと1時間に1本走っていますが、利用する人はいるのか?

 

㉒ 油槽所引込線ゲートから浜安善ヤードを臨む(安善二丁目:2024年4月)

再び引込線に戻って、写真㉒はちょうど写真⑱と対向する位置から撮影しています。この道路を横断するタンク列車を見てみたいものです。よく見るとレールの踏面は錆びており、しばらく列車の運行はないのか?。

 

㉓ 油槽所引込線道路交差部の注意標識(安善二丁目:2024年4月)

そして、この道路横断部は一応踏切です。道路を斜めに横断するので遮断機はありませんが、お茶濁し程度の踏切標識が1本立っています。実際に列車がここを通るときは、遮断機の代わりにロープを張って保安要員が道路に立ち、通行車両の誘導を行うそうです。

つづく。