ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1122話 1994年JR小野田:惰性のピストン運用

今回はクモハ42が活躍していた頃のJR小野田線の話題ですが、第863話~第865話の続きです。この日は宇部新川で一泊して朝から小野田線のクモハ42形の出庫を狙いました。

 

1.クモハ42006 (居能~妻崎:1994年7月)

小野田線のクモハ42形は、この時点で001と006の2両が在籍し、雀田~長門本山間の通称本山支線専属になっていました。普段は宇部新川の留置線がねぐらであるため、毎日朝晩は出入庫のため宇部新川~雀田間を営業運転されていましたが、列車検査のある月、水、金曜日は、本山支線の運転がない日中の時間帯に、検査入場のため下関まで回送され、2両は交互で使用されていました。

 

2.クモハ42006 (居能~妻崎:1994年7月)

よって、毎週の月、水、金曜日は、山陽本線でもクモハ42形を撮影できる機会はありましたが、平日であるため撮影に出向くのは困難でした。しかし、毎日の出庫時は、クモハ42形を本山支線以外で撮影できるチャンスなので、朝の出庫列車を厚東川橋梁で撮影しました。

 

3.クモハ42006 (居能~妻崎:1994年7月)

厚東川橋梁は長大な橋梁です。小野田線の前身である小野田鉄道時代に建設されたものですが、すでに架け替えられた新しいコンクリート橋梁になっていました。朝陽で橋梁が跳ねてしまわない様に絞り込んだらクモハ42形は真っ黒になってしまいました。

 

4.クモハ42001 (旧宇部電車区:1994年7月)

ここは、クモハ42形のねぐらである宇部新川の留置線です。ちょっと前までは、17m旧国がたむろする宇部電車区が近くにありましたが、合理化で廃止されてしまい現在に至ります。この日はクモハ42001が昼寝中でした。

 

5.クモハ42006 (雀田:1994年7月)

さて、ここからは本山支線の午前運用の撮影です。前回お伝えした第863話~第865話は本山支線の午後運用の撮影でした。この本山支線は土曜日以外の昼間は運行されておらず、午前運用が終わる9時過ぎから、午後運用が始まる16時半頃まで開店休業です。その開店休業の時間を利用して、月、水、金曜日は、クモハ42形の列車検査を行うため、クモハ42形は下関まで出張不在となりますが、列車検査のない日のクモハ42形は、雀田駅で昼寝です。

 

6.クモハ42006 (浜河内~長門本山:1994年7月)

午前運用の陽の向きは、雀田寄りが順光となります。この頃の午前運用は、雀田~長門本山間を5往復運行されていました。この日は日曜日だったので、どの列車もガラガラです。と、言うか、平日でもガラガラだった様です。前日の午後運用もそうでしたが、沿線には路線バスも走っており、工場地帯ではありますが通勤や通学の需要もないようです。果たして、本山支線を残す理由があるのか?

 

7.クモハ42006 (浜河内~長門本山:1994年7月)

この様な古い電車が日常的に走り、撮影できることは大変有難いことですが、わずか2.3kmの路線を惰性のピストン運用している様は、鶴見線の大川支線のクモハ12形以上に虚しいものがありました。