ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1121話 1994年立山砂防:とうとう三度目の樺平(その4)

三度目となる樺平は、紅葉のベストシーズンを狙ったつもりでしたが、なかなか思うよにはなりません。しかし、樺平は簡単に行ける場所ではないので、撮影は1カットも無駄にはできません。

 

1.資材列車 (樺平スイッチバック:1994年10月)

この前年の1993年は全国的に記録的な冷夏で「平成の大飢饉」と言われた米不足の年でしたが、1994年は一転して全国的な猛暑と干ばつでした。今でこそ気温38℃も驚かなくなりましたが、私の記憶では琴電の撮影時に高松で38℃を記録し、計画断水でホテルのシャワーも使用できなかったことを覚えています。その頃から異常気象の傾向があったようですが、そんな年の紅葉は色づかずに枯れてしまう、やはり散々な状況でした。

 

2.立山砂防絵葉書(建設省北陸地方建設局立山砂防工事事務所)

この絵ハガキは、2000年に立山で開催されたトロッコサミットの時に頂いたものですが、この写真が樺平の紅葉のベストシーズンの様です。大変すばらしい写真です。Keiichi Takahashiさんという方が撮影された写真ですが、こういうベストなタイミングは非常にピンポイントなので私の様な遠方から出向く一発屋には至難の業です。

 

3.資材列車 (樺平連絡所:1994年10月)

スイッチバックを下っていった資材列車をカメラで追い掛けました。お決まりの樺平連絡所を通過するシーンです。

 

4.資材列車 (樺平連絡所:1994年10月)

水谷からの定期列車は、あっけなく行ってしまいました。これで樺平での撮影は終了・・・かと思ったら。

 

5.資材列車 (樺平連絡所:1994年10月)

突然、資材列車がもう1本現れました。これは、樺平に止まっていた空トロ列車が、古い枕木を積んで続行です。

 

6.資材列車 (樺平連絡所:1994年10月)

もう午後の水谷行きまで列車はありません。ブラブラ撮影しながら戻ることにしました。この続きは改めてお伝えしますが、私が樺平まで出向いたのはこれが最後です。現在は、もう樺平まで歩いて行くことはできません。現地は軌道内外ともに立入り禁止です。あれからもう30年が経ちますが、可能であれば見学会で再訪したいものです。