ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第756話 1993年立山砂防:二兎を追う者は・・・。

突然ですが、欲張ると碌なことがありません。

1993年のGWは琴電→南海貴志川→野上を早回りする計画でしたが、つい欲張ってしまい、急遽大阪から立山砂防へアプローチするこにしました。ところが、天気のことなど考えていなかったことが祟り、始終雨に降られました。おとなしく大阪で帰れば良かったのですが、その結果は・・・。

今回は、欲張りすぎた撮影旅行の後半の様子です。

 

1.旧天鳥トンネル付近の軌道 (中小屋~桑谷:1993年5月)

f:id:kk-kiyo:20210220090618j:plain

 琴電からスタートした撮影旅行でしたが、琴電、南海貴志川、野上と、全て天気が悪く、後半の北陸地方に賭けました。大阪から立山行の夜行急行「リゾート立山号」に乗り、新緑の立山砂防を目指しました。

 

2.中小屋付近の軌道 (中小屋~桑谷:1993年5月)

f:id:kk-kiyo:20210220090650j:plain

 天気のせいか、GWにもかかわらず「リゾート立山号」はガラガラ。そして早朝の立山は強烈な寒さで、なんと五月雨ではなく雪でした。予定では樺平のスイッチバックまで行く予定でしたが、軌道を歩き始めて先行き不安になりギブアップ。まだ7時前でしたが、残雪が残る天鳥で引き上げることにしました。

 

3.人車列車 (千寿ヶ原スイッチバック:1993年5月)

f:id:kk-kiyo:20210220090724j:plain

 千寿ケ原に戻ったころに、砂防軌道の出庫が始まっていました。とりあえず列車は走っていましたが、まだ水谷までは全通していない様でした。

 

4.資材列車 (千寿ヶ原スイッチバック:1993年5月)

f:id:kk-kiyo:20210220090748j:plain

作業員の方は皆さんあったかそうなドカジャンを着込んでいましたが、私は半そでシャツでした。しかし、寒くてもう限界。立山はまだ冬でした。

 

5.モーターカー (千寿ヶ原:1993年5月)

f:id:kk-kiyo:20210220090503j:plain

 一番列車を見送ると、もうすることがありません。途方に暮れているとモーターカーが出て来ました。「雷鳥号」です。

 

6.モーターカー (千寿ヶ原:1993年5月)

f:id:kk-kiyo:20210220090818j:plain

 することがないので、「雷鳥号」の撮影です。この車両は1992年に導入された北陸重機製の8人乗りモーターカー(管理番号3-10-101)です。

 

7.モーターカー、5tDL (千寿ヶ原:1993年5月)

f:id:kk-kiyo:20210220105357j:plain

そして、庫内にもモーターカーがいました。このモーターカーはこの年の2月に入ったばかりのピカピカの新車(管理番号4-10-45)です。これも北陸重機製で「かもしか号」のマークが付いていました。この時点で、モーターカーはもう1両1981年北陸重機製(管理番号55-10-64)と合わせて3両在籍していました。

 

8.モーターカー (千寿ヶ原:1993年5月)

f:id:kk-kiyo:20210220090838j:plain

 千寿ケ原で休憩して、この日の行程を考えました。せかくここまで来て、すぐに帰るのはもったいないと、この日は予定を変更して、富山地鉄を見に行くことにしました。