ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第548話 1992年立山砂防:夏、樺平を目指す!

1992年の夏のある日、上野から夜行急行「能登号」に乗り、立山砂防を目指しました。

富山からは、裏技だった富山地鉄の始発の前に走る、JRから直通の臨時急行「リゾート立山号」に乗り換えて、午前6時前に立山に到着しました。

ここから一気に砂防軌道を遡上です。この日の目的地は樺平(かんぱだいら)でした。樺平はあの18段スイッチバックの麓です。それまでは桑谷までしか踏破していませんでしたが、千寿ケ原から樺平までは桑谷の更に2倍の距離があり12kmです。砂防軌道の一番列車が来るまでに目的地に到達しなければならず、よって気合を入れて駆け足です。

 

1.鬼ケ城連絡所全景 (鬼ケ城連絡所:1992年8月)

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 下界は連日30℃を超える真夏日ですが、幸いここは別天地です。夢中で前進して鬼ケ城連絡所まで来ました。ここまで約8kmです。写真の様にプレハブの詰所があり、何台かトロが留置されていましたが、まだ誰もいません。鬼ヶ城とは強烈な地名ですが、ここは山肌を鬼が引っ掻いたように崩落した崖地帯です。度重なる崖崩れのため、立山砂防の最大規模の難所で、崖を回避するため、とうとうトンネルを掘ってしまいました。これは予防保全的な対処でしたが、その後この沿線にはいたるところに危険を回避するトンネルが掘られました。

 

2.鬼ケ城トンネル北側開口 (鬼ケ城連絡所:1992年8月)

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そして、鬼ケ城連絡所のすぐ目の前に立山砂防最長の鬼ケ城 トンネルが口を開けていました。延長約500mのトンネルですが、ここを抜けないと先に進めません。ダッシュです。ちなみに現在はトンネル内の歩行は禁止です。そもそも軌道内の立入りが禁止されています。ところで、このトンネルはその後上部の崖の崩壊が進み、このままではトンネルごと崩壊してしまう恐れが出て来たので、このトンネルをバイパスする更なるトンネルが掘られました。しかし、その新しいトンネルは使用前に岩盤崩落が見つかり使用できず、現在は仕方なくこの従来のトンネルを使用している様です。

 

3.河川敷の生コンプラント (鬼ケ城トンネル南側:1992年8月)

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 鬼ケ城トンネルは意外にも勾配とカーブの連続でしたが、幸い照明設備があったので難なく通過できました。途中コウモリに遭遇しましたが・・・。

トンネルを抜けると広い河原にでました。ここには生コンのプラントがあり、砂防工事の拠点となっていました。現在はここに鬼ケ城連絡所が移転したそうですが、当時この場所には連絡所はありませんでした。写真に写る軌道は本線ではなく、河原に下りる側線です。

 

4.軌道標識 (樺平連絡所:1992年8月)

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 ひたすら歩き、とうとう樺平まで来てしまいました。

「スリップ注意」の標識は道路用ではなく、砂防軌道用の粋な標識です。実際にスリップしたらどうなってしまうのでしょうか?

この写真の左右に建つ鉄塔は、かつて18段スイッチバックがなかった頃の索道の遺構です。この索道で一気に標高差200mを短絡していましたが、荷物の積み替えよりもスイッチバックの方が、ここでは合理的な荷役手段ということです。

 

5.樺平連絡所全景 (樺平連絡所:1992年8月)

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ここは樺平連絡所です。小さな平地にはデルタ線もあります。

ずいぶん急いで来たので、始発列車の到着までまだ30分ほどありました。ここから18段スイッチバックですが、目的地に着いた途端、夜行列車の疲れが出てしまい、スイッチバックを登る気になれず、この日はここまでです。

 

6.始発列車 (樺平付近:1992年8月)

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さて、樺平を極めた記念に、ここで始発列車の撮影です。

なかなか良い場所が見当たらず、サブ谷を望む軌道脇の崖っぷちで撮影したのがこの写真です。

しかし、200㎜のズームレンズでも列車はこの大きさです。 列車が小さい!!おまけに列車の色が樹木に同化して全く目立ちません。

 

7.始発続行列車 (樺平付近:1992年8月)

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 せっかくの続行列車もこの有様です。ところがこの場所は意外にも結構有名な撮影ポイントでした。レールマガジン増刊号の「No.18 BEST・トロッコ」にもこの場所で撮った写真が掲載されていました。その写真は素晴らしい紅葉の頃で、やはり秋に来なくては意味がありません。と、言うわけで、このリベンジを3ヵ月後に果たすことになります。