忙しない一日が過ぎました。夕方になると、復旧作業を終えた人達を乗せて、帰宅列車が続々と山を下って来ました。この日の撮影も帰宅列車で締めです。
1.人車列車 (中小屋付近:1994年5月)
千寿ケ原行きの機関車はバック運転です。機関車の後部にはヘッドマークは付いていないので、何号なのか判別できません。
2.人車列車 (中小屋付近:1994年5月)
ところで、機関車はオイルモータ駆動のトルコン車なのでバック運転は支障ありません。運転士さんは横向きで運転となりますが、バック運転の方が視界が良さそうです。
3.人車列車 (天鳥トンネル~中小屋スイッチバック:1994年5月)
作業員満載の帰宅列車です。まだ、現場の飯場も設営されていないので、毎日この列車で通勤です。この頃の人車は、ほとんどが新しい密閉型となり、吹き曝しのオープン型の頃に比べて格段に改善されました。しかし、たまに乗るのは楽しそうですが、毎日となればうんざりです。
4.資材列車 (中小屋付近:1994年5月)
資材列車が推進運転でやって来ました。後追い撮影のような写真ですが、これは機関車の付け替えができない場所から折り返して来たようです。後方が見辛そうですが、大丈夫な様です。
5.人車列車 (中小屋:1994年5月)
資材列車は中小屋で機関車の付け替えは行わず、そのまま通過して行きました。この資材列車が本日の最終列車の様です。
6.留置貨車 (桃ノ木谷:1994年5月)
最終列車が行ってしまったので、私も撤収です。帰り道の桃の木谷交換所には、資材トロが留置されていました。冬季間撤去された現場の簡易トイレが積まれていました。
7.軌道と標識 (桃ノ木谷~中小屋:1994年5月)
軌道脇には、スリップや落石注意の標識が・・・。改めて危険な場所です。復旧作業はまだ始まったばかり、まだまだ続きます。そして、この年は秋にも立山砂防を訪れました。