ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1123話 1994年JR小野田:惰性のピストン運用(その2)

この日の本山支線の午前運用はあと2往復ありました。距離が短く、撮影ポイントも少ないので、どこで撮影するか悩みました。

 

1.クモハ42006 (雀田:1994年7月)

ここは雀田駅本山支線用ホームです。雑草が生い茂る長門本山よりは撮影しやすい駅です。クモハ42006の形式写真が綺麗に撮れました。一時期、前面にオレンジ色の警戒塗装が塗られていましたが、やっぱり警戒塗装の無い方が良いです。しかし、ワンマン表示が興ざめです。ワンマン表示は法規上必要なので仕方ありませんが、この表示を気にして乗っている一般乗客は、ほとんどいないと思います。

 

2.クモハ42006 (浜河内~長門本山:1994年7月)

さて、朝の本山支線は運転間隔が短いので、のんびりしている暇はありません。しかし、残りの撮影も同じような写真となりました。

 

3.クモハ42006 (浜河内~長門本山:1994年7月)

クモハ42006のこちらの顔は、貫通幌が付いています。よって、前日に撮影したクモハ42001とは微妙に顔つきが異なります。クモハ42001は長門本山寄りの妻面に幌枠が付いているので、この2両を連結する場合は、クモハ42006が長門本山寄りに連結されることになります。

 

4.クモハ42006 (雀田~浜河内:1994年7月)

空っぽのクモハ42006の惰性のピストン運用が続きます。本山支線宇部小野田線のおまけの様な路線ですが、しっかり電化もされており、それなりに経費も掛かっているはずです。

 

5.クモハ42006 (雀田~浜河内:1994年7月)

廃止できないとなれば、非電化にしないのか?美祢線のキハ120形を充当できないのか?・・・

 

6.クモハ42006 (浜河内:1994年7月)

当時は10往復程の列車が運行されていましたが、現在はわずか3往復にまで減ってしまいました。もう廃止対象に上がっていると思いますが、この盲腸線ではどうにもなりません。

 

7.クモハ42006 (雀田:1994年7月)

まだ9時半にもなりませんが、クモハ42006の午前運用は早々と終わってしまいました。このあとクモハ42006は7時間後までここで昼寝です。さて、撤収です。しかし、このまま帰るのはもったいないので、これから寄り道しながら、この日は広島のビジネスホテルへ帰ります。