新西金沢でレアな車両を撮影したあとは、いつ廃止になるのか気になる金名線の存続区間に向かいました。
この日は、朝は晴れましたが、その後は晴れたり曇ったりのはっきりしない天気となりました。秋の北陸地方は天気が変わりやすく、週間予報で計画をたてても、結局は当日にならないとその日の天気が読めません。
1.モハ3743 (加賀一の宮~中鶴来:1986年10月)
金名線の存続区間といっても、鶴来~加賀一の宮間のわずか2.1kmです。
この区間はすでに鉄道輸送の使命を終えた感じで、おまけの様な区間でした。しかし線路がある以上、列車は走り続けました。この日はモハ3743が走っていましたが、この車両もそろそろ引退が近づいていました。
2.モハ3752 (加賀一の宮~中鶴来:1986年10月)
この頃の金名線はまだ、列車本数もあり、ほとんどの列車は野町まで通し運転されていたので、短時間でしたが複数の車両を撮ることが出来ました。
3.モハ3752 (中鶴来~加賀一の宮:1986年10月)
本来であれば、加賀一の宮の先にある手取川の中島橋梁を渡って更に16.8kmほどの路線があるはずでしたが、1984年に中島橋梁の橋台の基礎部分に崩壊の危険性が確認されて以来、加賀一の宮~白山下間は運行休止状態が続いていました。
4.モハ3732 (加賀一の宮~中鶴来:1986年10月)
加賀一の宮はちょうど列車交換が可能な駅だったので、とりあえず加賀一の宮までは列車が走っていましたが、いずれ鶴来~加賀一の宮間も含めて、金名線は廃止となる見方が強かったです。
5.モハ3732 (中鶴来~加賀一の宮:1986年10月)
第53話でも記述しましたが、鶴来~加賀一の宮間の存在は、加賀一の宮にある白山比咩神社の参拝輸送で残っていたような感じでした。
6.モハ3741+モハ3742+クハ1721、クハ1722 (鶴来:1986年10月)
この日はちょっとだけ鶴来の車庫にも寄りました。
側線にはモハ3740形他が留置されていましたが、かなりくたびれた感じで、ここに留置された元名鉄の車両はそろそろ引退が近い様にも見えましたが、1990年の東急7000系導入まで使用されました。
この後は、惰性で福井に向かいました。