今回は、いよいよクライマックスの旧宇品駅構内です。1994年当時は、見覚えのある建物など、辛うじて昔の面影が残っていました。
1.地図7.引用:国土地理院地形図1/25000「広島」昭和56年発行
地図を見ると、宇品駅の海側に側線が存在していたことがわかります。1979年に現役時代の宇品四者協定線を探訪した際には、この側線には興味がなかったのか実態を確認していません。
写真㉞
写真㉞は、旧宇品駅構内を宇品方向に撮影したものです。線路は撤去されて更地になっていましたが、駅のホームとレンガ造りの倉庫が残っていました。宇品四者協定線時代にはこの付近から左方向に分岐する側線(広島港臨港線)が存在しました。
写真㉟
写真㉟はホーム跡です。やけに長いホームですが、軍事目的で造られたもので、日本一長いホームとも言われたそうです。旅客輸送時代の宇品線は日本一の赤字路線にもなりましたが、日本一尽くしです。なお、この長いホームは旅客用ではなく貨物用で、旅客用ホームは、このずっと先の方にありましたが、すでに撤去されていました。
これで、宇品四者協定線の廃線探訪は終わりですが、宇品四者協定線の廃止から8年となり、市街地は再開発によってほとんど線路の面影はなく、宇品周辺に辛うじて遺構を散見できる程度になっていました。その後、旧宇品駅構内は広島高速3号線の建設で跡形もなく変貌を遂げて現在に至ります。
さて、宇品線の車両ですが、旅客時代には気動車も走っていました。キハ04-100番台が充当されていました。それが国鉄最後のキハ04になったそうですが、実物の画像がありませんので、模型の画像をご紹介します。
ちなみに、この模型は20数年前に珊瑚模型のキットを組んだものですが、エンジンなど床下機器が付いておらず、未完成のままお蔵入りとなっていたものです。
最後に、1979年に宇品四者協定線時代の宇品駅に常駐していたスイッチャーの写真を撮っていましたので、ついでにご紹介します。
写真㊱
写真㊱は、宇品駅の終端に近い場所で、かつて駅舎があった付近です。手前のホームが日本一長い?ホームです。このスイッチャーの後方の、ワムが止まっている貨物ホームの建物は、写真㉟にも写っていますが、そこが晩年の旅客ホームがあった場所でした。
写真㊲
写真㊲はスイッチャーを背面から撮った写真ですが、レンガの倉庫も写っています。先程の橋脚と言い、日本一?長いホームと言い、全て石積の重厚な造りです。それだけ重要な路線だったと言うことです。さて、このスイッチャーですが、No.2と称するニチユの平凡な15t機(注1)でした。当時の旧宇品駅は駅ではなく、広島駅の側線扱いの宇品貨物取扱所となっており、広島港臨港線を含むこの辺り一帯の貨車の操車は、日本通運広島海運支店所有の、このスイッチャーが行っていました。
(注1)旧宇品駅日通スイッチャーの車歴
・日通No.2:1968年日本輸送機製(製番1197001)
宇品四者協定線が廃止されたあと、このスイッチャーは、山陰本線益田の大和紡績(日通)に転出し、No.3となったそうです。
このスイッチャーの撮影から早や43年です。いまさらこんな廃線探訪に興味を持って頂ける人が果しているのか?最後までお付き合い頂いた方は、ありがとうございました。今回の話題は、報告と言うより、自分の記憶の整理になりました。