ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第860話 1994年宇品四者協定線:もうひとつの宇品線回想(その4)

宇品四者協定線の廃線探訪は、下大河駅跡を過ぎると後半となります。しかし、下大河付近の線路跡は完全に道路化されており、宇品四者協定線の名残りは何もありません。よって、下大河付近は写真も撮っていませんでした。線路跡の道路は、次の丹那駅跡まで続いていました。

 

地図5.引用:国土地理院地形図1/25000「広島」昭和56年発行

 今回は、丹那駅跡付近から宇品にあるマツダの工場付近までの線路跡の様子です。

 

写真⑳

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 丹那駅跡も場所がはっきりしませんでした。しかし、線路跡の道路の脇に、踏切や線路をモニュメントにした公園がありました。写真⑳がそれですが、ここには駅跡を示す説明もなく知らない人が見たら、いったい何のモニュメントなのか意味不明です。果たしてここは駅跡なのか?

 

写真㉑

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 そして、写真㉑は写真⑳の場所から道路を挟んた反対側の公園ですが、ここにも線路の様なオブジェ?がありました。この場所は道路がS字にカーブしていますが、昔の地図と照らし合わせると、線路跡は直線だった様で、恐らくこのオブジェ?は線路跡を示すものかも知れませんし、丹那駅跡なのかも知れません。しかし、この場所は少し勾配になっているので、疑問は残ります。

 

写真㉒

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 そして、写真㉒の撮影位置から宇品側に少し進むとバス通りとの交差部があり、そこから再び線路跡が現れます。写真㉒は、その交差部から宇品方向に線路跡を撮影したものですが、どうやらこの交差点の向こう側の花が咲いている辺りが丹那駅跡ではないかと思います。この先の線路跡は元々両側に道路があったので、道路化されることもなく残っていました。

 

写真㉓

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 写真㉓は、写真㉒に写る線路跡の右側の道路から宇品方向を撮影したものですが、線路跡は古い枕木で仕切られており、いかにも線路跡です。ひと昔前は、古枕木をこのように柵に活用しているところをよく見掛けましたが、最近はほとんど見なくなってしまいました。

 

写真㉔

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 写真㉔は、丹那駅跡と思われる地点から線路跡の中を宇品方向に撮影したものですが、ご覧の通り花畑状態でした。恐らくは誰かが線路跡にこの花を植えたのでしょうが、ここまで大繁殖すると手に負えません。まあ、雑草が生い茂る空き地よりも、トロピカルな花が咲き乱れる花壇の方が癒されます。

 

写真㉕

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 写真㉕は写真㉔の線路跡を宇品方面に400m程進んだ位置から広島方向を撮影したものです。この辺りの線路跡は小高い築堤になっていましたが、その昔は、写真の右側は海でした。

 

写真㉖

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 写真㉖は、写真㉕の撮影位置から宇品方向を撮影したものです。前方の道路橋は、マツダの専用橋で、この橋の左右にマツダの工場があります。

 

写真㉗

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 写真㉗は写真㉖に写るマツダの専用橋の交差部分から広島方向を撮影したものです。ここまでは住宅街ですが、ここから宇品方向は工場地帯となります。廃線探訪も、いよいよ終盤です。