ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第482話 1988年越後交通(長岡):復活の可能性を探る(その5)

越後交通長岡線は、結構路線が長く、この日は昼頃から歩き始めたので、与板辺りで夕方になりました。与板町を過ぎると延々と田園地帯に入り込んでしまうので、この日は与板までで引き上げることにしました。

今回は、与板付近の廃線跡です。 

 

地図6.引用:国土地理院地形図1/25000「与板」

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 地図6は、岩方から与板付近の撮影ポイントを示します。岩方を過ぎると、廃線跡信濃川から離れて与板町の市街地に向かいます。

 

写真22.岩方方向を望む廃線跡(与板~岩方:1988年4月)

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 岩方から与板までは2.3kmです。与板は沿線では結構大きな街ですが、与板に近づいても沿線風景はほとんど変わりません。

 

写真23.岩方側から見た与板駅跡(与板:1988年4月)

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写真23は、大河津駅から8.9km地点の与板駅跡を岩方側から撮影したものです。レールとホームが残っていましたが、駅舎は既になく、越後交通のバスが留置されていました。かなり広い構内だったようで、グランドが造られており、子供たちが野球をしていました。 

 

写真24.上与板側から見た与板駅跡(与板:1988年4月)

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写真24は、グランドの反対側の上与板側から見た与板駅跡です。地図でもわかりますが、与板駅は市街地の外れと言うか、町の中心からかなり離れたところにありました。路線自体も市街地を外れて敷設されています。市街地の用地買収ができなかったと言うより、鉄道敷設を拒まれた歴史的背景があったようです。

この日はここまでです。写真に写っているバスに乗って長岡へ向かい、新潟に戻りました。 

 

写真25.与板方向を望む廃線跡(上与板~与板:1988年4月)

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 続いて、翌週です。今度は長岡からバスで与板に入り、与板駅跡から西長岡までの行程です。

写真25は、与板~上与板間の廃線跡です。この区間は与板市街地の西側の山際を削って敷設された区間です。よほど用地の確保が困難だったのか、民家の裏を通る感じで、廃線跡は草むら状態でした。

 

写真26.与板方向を望む廃線跡(上与板~与板:1988年4月)

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 写真26付近は、再びレールと架線柱が現れます。この辺りは民家の軒先を通る感じで、実際廃線跡は生活路として利用されていた様で、余計な雑草もなく整然としていました。

 

写真27.与板方向を望む廃線跡(上与板~与板:1988年4月)

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 写真27の付近は廃線跡が駐車場に利用されていましたが、不思議な光景です。結局廃線跡はこんな感じで与板町の市街地を通らず与板町を抜けて行きますが、市街地から外れていたので、再開発されずに奇跡的に残っていた様です。