ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1066話 1994年下津井:廃止から3年後を歩く(その2)

続いて下津井電鉄廃線の様子です。東下津井から下津井間は長い勾配区間があり、その部分の線路は並行する道路から離れていました。

 

1.下津井電鉄沿線地形図(引用:国土地理院1/25000地形図「下津井」平成3年発行)

廃線を歩くことも可能でしたが、下津井の大ループを俯瞰するため道路を歩きました。道路は、地図を見て頂くと分かりますが、地形に沿っており、廃線よりもかなり迂回して高い場所です。

 

写真⑦ 廃線 (東下津井~下津井:1994年3月)

写真⑦は道路から下津井の大ループを俯瞰したものです。大ループには線路も架線柱も残っていましたが、大ループの内側にあった田畑は宅地に造成されていました。これには絶句です。しかし、こんなところに(失礼!)新たに住む人はいるのか?そして、廃線はこのあとどうなってしまうのか?

 

2.モハ103+クハ24 (東下津井~下津井:1985年12月)

この写真は、ほぼ同じ地点の撮影と思いますが、下津井電鉄現役時代の大ループの俯瞰写真です。ちょうど白装束のモハ103+クハ24が写っています。

 

写真⑧ 廃線 (下津井~東下津井:1994年3月)

写真⑧は、大ループの軌道敷の様子です。この時は宅地の造成が終われば、この廃線も恐らく撤去されると思っていましたが、現在の線路跡は大半が遊歩道として残っているそうです。

 

3.モハ1001 (東下津井~下津井:1990年11月)

この場所では、何度か撮影を行いました。この写真は廃止の2カ月前の様子です。

 

写真⑨ 廃線 (下津井~東下津井:1994年3月)

写真⑨は下津井構内の手前にある陸橋から東下津井方向を撮影したものです。前方は大ループですが、このあたりはすでに家が建ち始めており、新しい街が出来つつありました。

 

写真⑩ 下津井構内跡 (下津井:1994年3月)

写真⑩は、同じく陸橋から下津井構内を撮影したものです。一部のレールは撤去されていますが、駅舎やホームが残っています。そして、写真の右奥には保管車両が写っています。

 

写真⑪ 下津井構内跡 (下津井:1994年3月)

写真⑪は、違う角度から下津井構内を撮影していますが、庫内には下津井バスが留置されていました。構内の向こうには瀬戸内海が見えます。この下津井港から四国の丸亀まで、かつては定期航路があり、下津井電車はその本四連絡の一翼を担っていましたが、船も鉄道もなくなり、下津井は小さな漁港になってしまいました。ここには、こんなにバスが置かれていますが、下津井まで来る路線バスはなく、下津井は陸の孤島でした。

 

写真⑫ 下津井駅舎跡 (下津井:1994年3月)

写真⑫は下津井の駅舎です。駅舎は残っていましたが、構内ともども檻の中です。これでは保管されている電車も、まともに見ることができません。しかし、この檻が無いと貴重な遺産が荒らされてしまいます。この檻は有難い存在です。檻の整備には相当な費用が掛かっているはずです。感謝です。

 

3.下津井駅舎 (下津井:1980年8月)

この写真は、1980年現役時代の下津井駅です。待合室も大きく、レンガ造りの駅舎は丸亀航路の本州側の玄関の風格がありました。1980年の訪問は8月だったので暑かった記憶しかありませんが、その時の様子は第65話をご覧下さい。