ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第873話 1994年一畑:大寺付近の日常風景(その3)

この日は、車両の置き換えでデハ20形+クハ100形が真っ先に淘汰されるのではないかと思い、真剣にデハ20形+クハ100形を追い掛けました。

 

1.デハ23+クハ101 (大寺~美談:1994年4月)

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 デハ20形+クハ100形の魅力は、ズバリ手動ドアでした。この何とも無防備な電車が普通に走っていたことが奇跡的でした。それでもこの頃はまだ、手動ドアと言う適当さと乗客のモラルが微妙にバランスして、安全上何ら問題がなかった時代でした。最近では走行中の新幹線のドアをコック扱いで開けてしまう、とんでもない乗客がいましたが、現在の様にコンプライアンス遵守で締め上げられると、逆に無茶苦茶なことをする人が現れる様な気がします。この当時の様な適当さがちょうど良かった様に思えます。

 

2.デハ23+クハ101 (大寺~美談:1994年4月)

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 そして、この列車には貫通路がありません。車掌さんは駅に停車するたび、さぞ忙しかった事と思います。

 

3.クハ101+デハ23 (美談~大寺:1994年4月)

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 ところで、デハ20形は見た目がかなりくたびれた車両の様ですが、戦後にデハ1形、デハニ50形からの改造車であり、1927年製の昭和初期の車両です。手動ドアは玉に瑕ですが、改造時に弱め界磁化されており、足回りは吊掛車ですが、85km/h走行対応となっていました。クロスシート車であり、かつては優等列車の運用にも充当されていたそうで、そんな車両がどうして手動ドアで残ってしまったのか?

 

4.クハ101+デハ23 (美談~大寺:1994年4月)

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 一方、クハ100形も負けず劣らずくたびれた車両ですが、こちらは1940年製の元西武電車です。雑多な木造クハを淘汰するため1958年~1959年に西武から譲受したものですが、当初から3扉ロングシートです。譲受からデハ20形とコンビを組んでおり、デハ20形に倣って?手動ドアです。

 

5.クハ101+デハ23 (美談~大寺:1994年4月)

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 さすがに、この年代になると、こういった凸凹コンビも他では滅多に見なくなりました。デハ20形はデハニ50形の陰に隠れて地味な存在でしたが、貴重な存在でした。この日は、デハ20形と大寺付近の日常風景が撮影できたので、まずまずの収穫でした。

 

6.デハ23+クハ101 (大寺~美談:1994年4月)

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 もう十分にデハ20形を撮影したので、この後は大社線のデハ1形を撮影するため、高浜へ移動しました。大社線の様子は、改めてお伝えします。