ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第518話 1986年太平洋石炭販売:釧路臨港の成れの果て

学生時代の1986年には、冬と夏に渡道して道内を放浪しました。

その際に、釧路の太平洋炭鉱を訪問し、新製導入されたナローの凸型電機を追い掛けて撮影しました。そして、その帰りに釧路臨港鉄道のことを思い出し、運行を引き継いだ太平洋石炭販売輸送㈱の専用線をのぞきに行きました。

ところで、この路線はその後、国内最後の運炭鉄道となり、太平洋炭鉱の閉山と共に消滅してしまうのかと思っていましたが、意外にも生き延び、一昨年の2019年6月に廃止されたことは記憶に新しいです。しかし私は、1986年の2度しか訪問しておらず、結局運炭列車の走行写真は全くありません。

 

1.D101,D701 (春採:1986年3月)

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 太平洋石炭販売輸送㈱の専用線は、1979年に釧路臨港鉄道の線路を譲り受けて運行を開始しました。その後、1986年に国鉄の貨物合理化により、国鉄との貨物輸送が廃止され、春採~知人間の運炭専業鉄道となり運行を継続しました。まずは、1986年3月の春採機関区です。この日は朝から丘の上の太平洋炭鉱のトロッコを追いかけ回していたので、この機関区訪問は夕方になってしまいました。

 

2.D201 (春採:1986年3月)

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 この頃の専用線は、太平洋炭鉱で産出される石炭輸送に依存しており、国内の炭鉱及び運炭鉄道が消滅して行くなか、いたって元気でした。保有するディーゼル機関車(注1)は、釧路臨港時代のものばかりで6両在籍していました。しかし、写真のD201はこの年に廃車となりました。

(注1)1986年時点在籍機関車の車歴

・太平洋D101←釧路臨港D101:1958年日本車輌製(54t、ロッド駆動)

・太平洋D201←釧路臨港D201:1962年日本車輌製(50t、ロッド駆動)

・太平洋D301←釧路臨港D301←釧路臨港D202:1964年日本車輌製(45t、ロッド駆動)

・太平洋D401←釧路臨港D401:1964年日本車輌製(55t、ロッド駆動)

・太平洋ED601←釧路臨港ED601:1970年日本車輌製(55t、電気式)

・太平洋D701←釧路臨港D701:1977年日本車輌製(55t)

 

3.D301 (春採:1986年8月)

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 ここから8月の写真です。8月の訪問も太平洋炭鉱のついでに立ち寄った程度でした。

写真のD301は、二重まぶたがチャーミングな機関車です。ボンネット上に櫓のようなものが乗っていますが、これは選炭場のホッパー内を通過する際にラジエターファンを保護するものです。見てくれは良くありませんが、いかにも運炭鉄道の車両です。

 

4.DE601 (春採:1986年8月)

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 この運炭鉄道は、太平洋炭鉱の選炭場のある春採から、貯炭場のある知人までのわずか4km足らずの路線でした。運炭列車はセキの前後に機関車を連結したプッシュ・プルのシャトル運転を行っていました。ところで、このセキはこの鉄道独自の2車体連接です。

 

5.DE601 (春採:1986年8月)

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在籍する機関車の中で写真のDE601だけは、特異なアメリカンスタイルの珍しい電気式機関車でした。この車両は日本車輌がGE社と技術提携し生産した試作機で、なぜここにいたのか不思議です。

 

6.DE601 (春採:1986年8月)

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 いまでこそ電気式ディーゼル機関車が当たり前になりましたが、私はいまだに電気式やハイブリッドのメリットが理解できません。

 

7.D401,D701 (春採:1986年8月)

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 さて、この専用線の廃止により、歴史ある釧路臨港鉄道の路線もなくなってしまいました。そして運炭鉄道も国内から消滅しました。なんだか釧路から鉄道がなくなって行く様な感じがします。