ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1073話 1986年太平洋炭鉱:霧の釧路(その2)

ここまで来ると、どうしてもあのゲテモノに逢いたくなります。春採坑の土場にお邪魔しました。

この日の土場はなんだか閑散としていました。早速事務所に撮影許可を頂いたのですが、視界に入ったゲテモノは65号だけでした。他のゲテモノ達はどこにいるのか?

 

1.65号と鉱車 (春採坑:1986年8月)

この65号は比較的新しい外観をしています。恐らく本体は古そうですが、キャブを新調したのでしょう。その後、このタイプのELはパンタの櫓に足場が追加されました。

 

2.65号と鉱車 (春採坑:1986年8月)

65号の足元には手歯止めの木片が突っ込んであるので、どうやら休憩時間の様です。作業が始まるまで、少し待つことにしました。

 

3.65号と鉱車 (春採坑:1986年8月)

しばらくすると鉱車の入換が始まりました。小さなELですが、間近で見ると結構デカイです。構内には軌道を横断する道路があり、架線の関係からELの高さはレールからパンタの先まで4m程あります。このようなノッポELは、かつては各地の炭鉱に存在しましたが、九州の三池炭鉱が構内軌道を非電化したため、この時点では太平洋炭鉱だけになっていました。

 

4.65号と鉱車 (春採坑:1986年8月)

このノッポELは、春採電車線が廃止になった後も残りました。それは炭鉱がなくなったのではないため、土場の作業が継続されたからです。しかし、2002年1月で太平洋炭鉱が閉山され、後身となった釧路コールマインに移管された以降は稼働が激減した様で、設備の老朽化というか合理化のため2012年3月に非電化となるまで活躍しました。

 

5.BLと鉱車 (春採坑:1986年8月)

ノッポELがどこかに行ってしまいましたが、代わりにBLが元気に走り始めました。このトラ塗りのBLは整-6と標記されています。斜坑から上がって来た重機の部品の様なモノを運んでいます。このBLは結構力持ちの様です。

 

6.BL (春採坑:1986年8月)

側線にはシートを被ったBLもいました。相当年季が入っている感じです。標記を確認していませんが、4tくらいのBLと思われます。

 

7.BL (春採坑:1986年8月)

太平洋炭鉱の坑外には多くのBLがいました。非電化の側線が多かったからだと思いますが、結構、道内の他の炭鉱から移って来た中古車もいた様です。