ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第1074話 1986年太平洋炭鉱:霧の釧路(その3)

いつの間にかノッポELは、どこかに行ってしまいました。先程見かけたBLの「整-6」が、単機回送となって動き出したので追い掛けてみました。

 

1.BL「整-6」単機回送 (春採坑:1986年8月)

邪魔にならぬ様にBLの後を追いましたが、BLは結構速くて見失ってしまいました。とりあえず、BLが消えた方向に行って見ました。

 

2.BL「整-6」単機回送 (春採坑:1986年8月)

軌道はあちこちで分岐しており、その先がどこに行くのか全く分かりませんが、辛うじてレールの踏面が光っている方向へ・・・。野生の感覚で探したところ、BLはこんな場所に放置されていました。

 

3.BL「整-6」単機回送 (春採坑:1986年8月)

ここは、坑口整備工場と言う建屋の前です。線路が建屋の中に入っていました。恐らく炭鉱で使用される機材の整備工場ですが、このBLのねぐらなのかも知れません。

 

4.BL(番号不詳) (春採坑:1986年8月)

整備工場の周りには、いろいろな資材や機材のヤードがありました。このあたりは、架線が敷設されておらず、BLが主力の様です。霧に霞む前方には整然とアパートが建ち並んでいます。そこは太平洋炭鉱の炭住ですが、ずいぶん洒落た建物で、夕張あたりで見た炭住とは全く別物でした。

 

5.BL(番号不詳) (春採坑:1986年8月)

大量の曲がったH鋼が山積みされていますが、ここは坑道の型枠をストックしている場所です。ここにも年季の入った水色?のBLがいましたが、車体側面は小擦り傷で車号は読み取れません。

 

6.BL「417号」 (春採坑:1986年8月)

そして、その隣は坑木をストックしている場所です。炭鉱と言うより製材所です。ここのBLは稼働中でした。それにしても鉱車がボロボロです。

 

7.BL「417号」 (春採坑:1986年8月)

炭鉱の資材ヤードは往々にして、わけのわからない機材や廃棄されたモノが雑然と置かれているのが通常ですが、ここは不思議なくらい整然としており、炭鉱の雰囲気ではありませんでした。しかし、鉱車を牽くバテロコを見ると、やはりここは炭鉱です。

 

8.春採駅構内から選炭場を望む (春採選炭場:1986年8月)

私にとって、この訪問が太平洋炭鉱の最後となりました。その後、春採電車線は1989年に廃止されましたが、太平洋炭鉱は釧路コールマインとなった以降も春採坑の軌道は存続し、現在も非電化ではありますが健在です。

 

さて、話は変わりますが、先日の「第19回軽便鉄道模型祭」では、私が25年程前に製作した太平洋炭鉱の「一口羊羹(凸型8t機)」をこっそり持ち込ませて頂きました。そして、うかいさんやいちかわさんにツイッターなどで話題に挙げて頂きまして、ありがとうございました。私はなぜかツイッターのアカウントが永久凍結されており使用できない身分なので、この場を借りて感謝申し上げます。

 

9.一口羊羹(凸型8t機)の1/80模型

ところで、3Dプリンターが主流になりつつある現在において、模型作りの本質が職人技と言う「技能」から、3Dプリンターなどの製作手段である「技術」に変わってしまった様に思います。真鍮フルスクラッチの模型など、もう時代遅れも甚だしいことを痛感し、還暦を過ぎたジジイの出る幕はありません。しかし、若い方々と話をする機会が若干ありましたが、職人気質の方はまだまだいらっしゃいます。そういった方々には模型作りをどんどん頑張って頂きたいと思います。ジジイは日陰で応援しています。