ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第894話 1994年高松琴平:志度線分断後の旧型車の動向(その4)

この頃の長尾線は、朝の3連が増えた様な気がしました。しかし、思ったように凸凹編成が現れませんでした。その理由は、志度線の分断にありました。

 

1.130+325 (白山~平木:1994年7月)

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 以前にも、志度線分断後の配置車両の内訳をお伝えしていますが、凸凹編成の元になる雑多なクハのほとんどが志度線に行ってしまったことが、長尾線の3連をつまらなくした原因でした。この時、稼働状態にある長尾線所属の雑多なクハは、860と870の2両しかいませんでした。

 

2.300+35+36 (白山~平木:1994年7月)

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 M車だけの3連はまずありえないので、ほとんどの3連は30形+M車となります。長尾線の3連は4本運用したので、日によってはその内3本は30形+M車となります。30形の検査入場でもない限り、凸凹3連は増えませんし、増えても2本までです。

 

3.300+35+36 (白山~平木:1994年7月)

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 一方、志度線はどうかと言えば、長尾線よりも雑多なクハが多いのですが、30形も4本配置されたので、30形+M車の本数は長尾線よりも多くなる可能性が高く、結局は長尾線志度線も雑多なMT編成の稼働は極めて低いと言うことでした。

 

4.62+25+26 (白山~平木:1994年7月)

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 それでも、この写真のように雑多なM車が30形の先頭に立つことは結構あるので、楽しみを雑多なM車に託して撮影を続けました。

 

5.33+34+500 (高田~西前田:1994年7月)

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 さて、時間はまだ8時頃でしたが、白山付近で3連の俯瞰撮影もできたので、場所を移動して気が付けばまた西前田です。この日は、すでにラッシュ運用のオールキャストを撮影済みなので、これからの撮影は失敗しても余裕です。

 

6.300+35+36 (高田~西前田:1994年7月)

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 他に行くあてがないわけでもありませんが、ここが一番落ち着いて撮影ができました。